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気づきの力

「気づきの力」
この言葉を見て何かを感じる人は気づきの力が備わっている人だろう。
気づくことが生きていくうえでどれだけ大切かわかっている人だろう。
反対に、
この言葉を見て何も感じない人はそういう生き方をしてきたのだろう。
大きな問題にはならないが少しずつ周囲に迷惑を掛けてきたのだろう。
自分自身は関知しないところで。

気づきの力は人生に大きな影響を及ぼす。
そして気づく人はどんどん成長するが、気がつかない人は何も知らずに生きていく。
結果として、歳を重ねるにつれてどんどん差が大きくなる。
一気に差はつかないがじわりじわりと差がつき、大きな差があると知ったときにはもう遅いとなる。

気づきの力がない人が何かを指摘されたときの反応はこんなもんだ。
「何でそこまで言われなければいけないのか?」
「自分には関係ない」
「やらなければいけないことだったら自分だってできる」
何かしらの言い訳をして自分には関係ない、自分のやることではないと考える。
生きていくうえですべてのことが勉強の場であるのにもかかわらず、
その貴重な勉強の場を自ら限定してしまう。なので勉強する回数が減ってしまう。
勉強する回数が少ないので成長する機会が減ってしまう。
そして勉強している人との差が生まれてしまう。

この悪循環にはまってしまうとなかなか抜け出すことはできない。
気がつかない人にしてみたら言い訳をする環境は居心地がよいからだ。
そして気がつく人は「言ってもムダだな」と考え指摘をしなくなる。
気がつく人にとっては、この人はこういうタイプだなと気がついてしまう。
だから言ってもムダな人に対しては、よほどの理由がない限り関わるのを減らそうとする。
自分にとってメリットがないことをする意味があるのかどうかを考えてしまう。
そして何も言わなくなる。
自分で改善することができず、周囲からも指摘されず、その結果孤立していく。差がついていく。

この悪循環にはまると抜け出すことは相当難しい。
なので、悪循環にはまる前に動き出さなければならない。
どんなことでも自分ごととして考え、意見を言い、行動する。
テレビを見ても新聞を見ても、自分の意見を持つ、流して見ない。
視野を広くしてちょっとした違いに意識を向ける。
ゴミが落ちている、棚の本が傾いている、そこに気がつき行動できるか。
誰かのちょっとしたひと言に対して、その言葉の裏を読み取ることができるか。その場ではわからなくても、ひとりになったときに考えることができるか。
そんな小さなことではあるが、小さな気づきの訓練を重ねるしか方法はない。地道な努力を積み重ねることができるか。
その積み重ねの結果が、数年後に大きな差を生むことを忘れてはならない。

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