個人的決意表明
個人的な決意表明なので、本来は、noteで上げる必要はないのかもしれません。ただ、こうやって何かの形にしないと、自分の心が折れそうな気がするので、あえて表に出してみます。
とても個人的な内容なのでつまらない記事になっています。
私は今年で48歳。
社員数50名くらいの会社で20年以上勤務しています。
職種は総務全般。小さな会社なのでモノを売る部署、モノを作る部署以外の業務を担っています。
小さな会社ですが、創業者がオーナー兼社長という会社ではありません。
80%以上の株を持つ親会社がいて、取締役が残りの株を持っているような会社です。
現在の代表取締役は就任して10年以上になります。年齢は60歳の少し手前です。
私が20代の時、現社長は30代。
その当時の社長の役職は営業部次長だったでしょうか。お互いに若かったので仕事帰りに飲みに連れて行ってもらって、
「この会社をもっと大きくしたい、みんなでこの会社を良くしたい」
と熱く語ってもらいました。
たくさんの刺激を受けました。
学びもありました。
先輩から言われたことで自分自身ももっと成長しよう、そしてこの会社に貢献しようと誓いました。
感謝しています。
社長に就任して最初のころは、若い時に居酒屋で語っていたように、会社を良くするため、会社を成長させるために様々な取り組みを会社一丸で行っていました。
しかし、時を重ねるごとに人が変わってきました。
独断で決めることが多くなり、人事も自分の言うことを聞く人だけを昇格し自分の近くに置き、それ以外の社員の意見は徹底的に抑え込みました。
もちろん待遇の差も社長の近くにいるかどうかです。
社長業という重圧に負けてしまったのかもしれません。
自己保身が第一になって会社の成長は二の次になってしまったのかもしれません。60歳を手前にして昔ほどの情熱もなくなってきたのかもしれません。
私の社長に対する信頼は一気に消えてしまいました。
社長が30代のころ、「この人についていって、会社を成長させたい」と誓っていましたが、こんなことになるとは思ってもいませんでした。
自分の考え方とは違う、今の時代の組織運営は違う、社員は何のためにいるのか。
たくさんの疑問や怒りがこみ上げてきます。
でも、私がいるところは会社です。
株主が選んだ取締役が会社を運営し、取締役会で決定した代表が最終的な責任を取ります。
私はただの従業員です。代表取締役のやり方に異議を通すならば、この会社から退くのみです。
会社に残って社長の言いなりになるか、会社を去って新しい道を探すか。自分にできることはそのどちらかしかありません。これが資本主義です。
自分の社会人人生も残り十何年。
新しい道を選択するよりも、この会社で我慢してある程度の給料をもらって生活したほうが幸せなんだろうなと思っています。
我慢して今の生活水準を確保する方を選択しました。
しかし、新たな問題が発生しました。
社長が、会社の経費を不正に流用して家族の飲食費や旅行代に充てていることが発覚しました。
これは社長の会社運営の考え方、やり方という問題とはまったく異なります。ただの不正です。世の中でやれば犯罪行為です。社員や公務員が同じことをすれば一発で懲戒免職でしょう。
しかし社長が不正を行うとどうなるでしょう。
会社がこの問題を大きくするか小さくするかは株主がどう考えるかで変わってきます。
株主が「そうは言いながら利益を出している社長なのだから、ここは見逃してもいいんじゃないか」と判断すればそれまでです。
おとがめなしです。
これが資本主義です。株式会社の仕組みです。
資本家が良しと言えば問題なし。
もちろん犯罪行為はいけません。
上記の件も、会社のお金を私的に流用していますので、給与として判断され、所得税の追徴課税は発生するのでしょう。しかしそれまでです。会社がこの私的流用を横領と認識しなければ警察が出てくることはありません。
これが資本主義です。
社長の考え方、やり方に対して私が意見を言ってもどうなるわけではありません。そのやり方に疑問を持っている他の社員と一緒に声を上げても、ただのクーデーター未遂で終わるでしょう。
そんなことで自分の人生が変わってしまうのは本意ではありません。
しかし、社長の犯罪行為も見逃さなければならないのでしょうか。
ここは戦わなければなりません。立ち上がります。行動します。
社長の近くにいることで甘い汁を吸っている社員もたくさんいます。その人たちからすると「余計なことをするな」と反発があるでしょう。
黙って働いているふりをしていればある程度の給与をもらえるので、現状維持を望んでいる社員もたくさんいます。その人たちからもちょっとした嫌悪感を抱かれるでしょう。
でも、私は戦います。
覚悟は決まりました。
どんな結果になるかは分かりません。
でも人生一度は大勝負に打たなければならないのでしょう。
自分の人生において、それは今です。