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発達の凹凸と向き合うことで起きる衝突

ブログを立ち上げたはいいものの、次に何を書こうか決めかねていました。
言いたいことが山ほどあって、何から書けばいいのかわからず下書きがしっちゃかめっちゃかの状態。
そんなタイミングでレベルMAXの衝突が起きたので、とりあえずこのことについて書いてみようと思う。

発達障害と健常者という括りで話すのは苦手だけど、両者の間で衝突は避けられないと思う。
発達の凹凸は誰にでもあって、発達障害の人と向き合うということは、その人自身も自分の凹凸と向き合い続けなければいけないということだと思っています。
普段なら得手不得手で片付けられるような自分の特性を、掘り下げて見つめ直し、相手とチューニングする必要がある。
私はまだそれがうまくできない…どうしても「結果的に生じた感情」の昇華方法がわからず、爆発してしまう。
私自身この作業が特別苦手です。
ペースが乱れるとすぐ思考がパニックになり、気分の切り替えに時間がかかる。
そしてガイラ(パートナー)はそんな私の「ちょっと待って」が耐え難い。
頭がショートするまで高速で回転し続けているから、思考が止められない。
そんなこんなでヒートアップして、喧嘩というよりも感情の衝突が絶えない。
2週に1回ペース、ひどい頃は顔を合わせれば言い合いになっていました。
ガイラ(パートナー)が自分自身の身体を噛んだり、自分で頭を殴ったりすることもあり、それを制止しようとして顔を殴られたり、今も身体に残るような傷をつけられた事も。
今回の衝突も激しく、夜から朝にかけてずっと最悪でした。

昨晩は寝不足だったので泥のように眠りにつき、いささかスッキリした頭で考える。
言ってしまったこと、言わせてしまったこと、言われたこと、すべてが最悪で落ち込む。消えてしまいたい。
「あなたに会うまで私は自分のことが大好きだった。でもあなたに会って言われた言葉でたくさん傷ついて、生まれて初めて死にたいと思った。こんな自分でごめんなさいと思った。」
この言葉が忘れられない。
私に会うまで彼女は彼女なりに幸せだったのだとすると、全身の血が引いて心が引き裂かれるような気分になる。
度々衝突してきたけど、このままの状態ではもう一緒にいられない。
私にできることは、気持ちの整理方法や感情の処理方法を見つけることだと思う。
これまで長らく、お互い変化しながら傷つきながら一緒にやってきた。
もう方法はないのか。
藁をもつかむ思いで、本を読み記事を読み医者やカウンセラーやケースワーカーに相談し、必死で頭を回す。

ひとつ、そんなに最悪でなんで一緒にいるの?と思われるかもしれない。
依存関係共依存だとよく言われます。
しんどいなら別れたほうがいいとも言われます。
私は逆に問いたい。「家族のように大切な人が病気で苦しんでいるのに、病気だからと見放すの?」
もちろんお互いに限界のラインはあります。
一緒にいることがマイナス要素になるなら、一緒にいる意味はない。
だけど今私たちにとって問題なのは「発達の凹凸」による衝突なのです。
それに他の誰かと一緒にいるにしても、いくら相性がよくても人と人が一緒にいる以上、一生一度もぶつからないという事はありえないと思います。

私たち2人の中には、添い遂げる事を美徳とする感覚も、自分以外の何者かに依存するような他力本願な生き方も、価値観として存在しない。
ただ今好きで大切で一緒にいる人と、どうやって一緒に歩いていくか。
そのことを真剣に考えて限界まで模索してるだけ。
これが親しい人にも伝わらないのがすごく苦しい。
私やガイラが傷つくことを望んでいないからこそ、離れることを勧めてくる。
傷つかず気持ちいい状態というのは大切だしそれが一番だけど、自分にとって大切なことを無視してまで得たいとは思わない。


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