今年4月の韓国総選挙 「脱北者候補」が語る出馬理由 「脱北者が死ぬ覚悟で得る“自由”が韓国ではないがしろに」
キム・クミョク(韓国政府国家報勲部政策顧問)
私は脱北者です。脱北者という言葉には、北朝鮮を脱出した移民という辞書的な意味と共に「自由を得るために命をかけた人々」という意味も込められています。私は自由を得るために持っていた全てを捨て、最高位層の生活も捨てて血の涙を流しながら脱北し、今こうして大韓民国の国民として生きています。
自由とは何か?
今日を生きる韓国人にとって自由は生まれた時から与えられる当たり前の権利です。誰もが自由を持っているため、自由はまるで空気のようなものです。しかし、その空気のような当たり前さは別の世界の人々にとっては全く異なる話です。脱北者にとっての自由とは、存在しなかったものを得るために人生の全てをかけなければならない熾烈な闘争です。その脱北者が咸鏡道出身であれ、平壌出身であれ、地域や成分の地位の高低に関わらず、自由を望む全ての北朝鮮住民は北朝鮮政権の「明白な敵」だからです。
北朝鮮住民にとって自由は「厳しい代償を伴う地獄のルーレット」のようなものです。私は自由を得るために愛する両親と生涯を別れ、北での確かな出世の機会も全て捨て、命をかけた脱北を敢行しました。不孝極まりない息子のせいで家族は崩壊し、十年以上も両親の生死は分からないままです。これが私の支払った「自由の代価」です。
同時に、私は自由を得たことで、望んでいた勉強を思う存分にできました。北では監視を逃れてこっそり隠れて読んでいた本を、今ではソウルの大学の図書館や書店で、いつでもどこでも自由に思う存分読むことができます。
毎日夢に描いていた世界旅行を通じて、アメリカやイギリス、ドイツなど世界10カ国以上を巡り、広大な世界に自分の足跡を残すことができました。
韓国の地で一切の親族などのコネなしに、ただ能力だけで認められ、31歳の若さで最年少の韓国政府国家報勲部政策顧問に抜擢されました。また最年少で韓国政府統一部(省)統一未来企画委員に選ばれ、大韓民国の長期的な統一政策を構想する仕事に専念しています。
自由があるからこそ、愛する妻に出会い、私にそっくりな息子も生まれ、新しい家庭を築きました。自由は私に世界をプレゼントし、能力を存分に発揮する機会を与え、新しい家族になってくれました。私にとっての「自由」とはこういった内容です。
だからこそ、私は今日、さらに一歩踏み込んで私たちの自由について話したいと思います。
皆さんにとって、自由に関する議論を最後に見聞きした記憶はいつですか?
人々の関心を引きつける様々な問題や政争が自分たちだけの強力な揮発性を発揮して、燃えて消え去る間に、自由というテーマは時代遅れのイデオロギー論争程度に片付けられ、皆の関心から遠ざかっています。
そうして「自由」からの関心の離脱が進みつつあるとき、韓国でその空白を埋めているのは他ならぬ偽情報やフェイクニュースなど、自由民主的基本秩序を脅かす反自由的行為です。
フェイクニュースの味を知った韓国の勢力は、ただ自分たちの支持する党利党略のために、韓国の先代が苦労して築き上げた民主主義の基盤自体を崩壊させています。フェイクニュースの被害は、韓国国民全体のものであり、私たちはどんな情報も簡単に信じることができない不信の沼に陥っています。
私たちの自由が危険にさらされています。
私は私の全てを捧げた自由を守る使命感を感じます。この使命感は、私の自由を守ることができるのは私だけであり、私たちが暮らす共同体の自由は私たちだけが守ることができるという信念に基づいています。
第22代総選挙を控え、保守与党政党の「国民の力」から立候補の提案を受け、それを受け入れた背景には、「自由を必ず守らなければならない」という切迫感がありました。私は自由民主主義は決して譲ることができない大韓民国のアイデンティティであり、国民の生活を左右する民生であり、より良い未来を保証する国家の核心利益だと信じています。
自由民主主義はただ見ているだけでは守ることができません。自由を失うかもしれないという危機意識を持ち、切迫した心で皆が行動に出てこそ守ることができます。自由民主主義の未来は今、私たちの手に委ねられています。どんな失敗も許されません。もはや後退する場所も、後退することもできないからです。
(了)