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ヨハンクライフとFCバルセロナ② ~ティキタカの起源~

ティキタカとは


ペップがバルセロナにもたらしたものは数多くあり、その実績を辿れば多くを語る必要はないだろう。チャンピオンズリーグや、ラリーガなどタイトルは数えきれないほど獲得した。バルセロナは世界一を手に入れることができた。バルセロナはどのようにして世界一のチームを構築することができたのか、その根本にあるものこそがパスサッカーを主体とするティキタカというものである。

ティキタカとは「卓球の球が小気味よいテンポで行ったり来たりする姿」というスペイン語を由来としている言葉である。その意味の如く、とにかくボールを回し、パスを出し、相手にボールを渡さないことが目的である。そのパス1つ1つは短いパス(ショートパス)である必要があり、そのパスには明確な意図がなければならない。これがサッカーにおけるティキタカである。

圧倒的にボールポゼッションを高めることで、相手にチャンスを与えることなく、自分たちは生きたサッカーをすることができる。
当時のサッカー界には衝撃が走り、このサッカーに対抗する術がないチームがほとんどで、バルセロナは無双することができていた。

しかし、このサッカーは最終形態の完成版であると個人的には考える。サッカーというのはボールを持つスポーツという概念ではなく、ゴールを奪うことにのみフォーカスされていたスポーツであった。衝撃だったことは、その考えから逸脱していたからだろう。

ペップはその環境に縛られることなく、自らが信じるべきものを信じた。その結果このティキタカのサッカーが大成したのだと考える。ではこのボールを保持することを主体としているサッカーはいつからそしてどこからやってきたのだろう。その真相に迫っていきたいと思う。


ティキタカの起源

バルセロナのサッカーを語る上で欠かせない人物はたくさんいるが、ヨハンクライフという人物はその最たる人物であることはバルサファンのみならず、サッカーファンの多くは理解しているだろう。ただ彼の目指したものがどこからきたのか。その背景まで知っている人は少ないだろう。

今の自分の知識だけで不十分かもしれないが、バルセロナのサッカーの大元の部分なので少し丁寧に書いていきたいと思う。

1872年イングランド対スコットランドまで時代は遡る。当時のサッカーはドリブルとチャージ(簡単に言えばぶつかり合い)のサッカーが主流だった、スコットランド代表の選手に比べ、イングランド代表の選手は体が大きく技術的にもイングランドが圧倒的だった。試合の結果は0-0のスコアレスドロー。

スコットランド代表が実践したのは、当時使われていなかった、パスサッカーである。相手にボールを渡さなければいい、ぶつかり合いになる前にボールを味方に渡せばいいという考え方である。その試合の後もスコットランドはパスサッカーを展開し1890年にイングランドを4-1で大勝した。

この試合でハットトリックをしたマッコールという選手はイングランドの自クラブでもパスの重要性を根付かせた。そのマッコールの考え方に賛同したのがスコットランド人で、選手としても監督としてのキャリアも持った、マクウィリアムという人物だ。彼はマッコールの理念を引き継ぎ、トッテナムで、後に監督として活躍する3人の選手を育てた。その1人が、ヨハンクライフにアヤックスで出番を与えたバッキンガムという人物である。バッキンガムはアヤックスで展開されていた、ハイプレスからのパス&ムーブのサッカーを忠実に引き継ぎ、のちにトータルフットボールとなるものの基礎を形作った人物である。

アヤックスを退任したバッキンガムの後を引き継いだのは、トータルフットボールの産みの親というべきリヌスミケルスなのであり、そのミケルスのもとでトータルフットボールを理解し、体現できた選手こそがヨハンクライフなのである。

アヤックスでクライフを中心としたサッカーを展開したミケルスは在籍した6シーズンの間にリーグ優勝4回、カップ戦優勝3回、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)優勝1回、と輝かしい成績を残した。

ここにくるまで何人かの人物を紹介したが、その発端となった、トータルフットボールの根源が、100年以上も前に行われた、イングランド対スコットランドでのスコットランドのサッカーだったとは驚きである。

では彼らが実践した、トータルフットボールとはなんなのか、ヨハンクライフとバルセロナとの関係は?という観点からの話は次のブログで書いていく。

参考 The Barcelona Legacy

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