ヨハンクライフとFCバルセロナ① ~Introduction~
圧倒的な個というのは、クラブ全体にいい意味でも悪い意味でも特別な影響をもたらすものだ。リオネルメッシはバルセロナにとって実に『クラブ以上の選手』となった。それは大いなる賛辞とも捉えることもできるし、非難と捉えることもできる。
バルセロナの歴史は深く、哲学や育成組織を含め一言で語るのが一番難しいクラブだと考える。私たちが最も記憶に新しいのは、ペップバルサだろう。当時フットボール界にあらゆる視点で衝撃を与えることとなった。ペップ(現 マンチェスターC監督)が行なった功績は実に素晴らしかった。メッシの偽9番(ファルソヌエべ)に加え生え抜きの選手たちによるティキタカでの圧倒的なポゼッション。
他にもさまざまあるが、彼の功績は現代でも多くのサッカーファンの心に強く刻まれているはずだ。しかし、彼の成功は選手に依存した形だったと考えている。それは一概に選手頼みというわけではなく、選手ありきの戦術だということだ。彼のサッカーを体現できる選手がその当時偶然なのか必然なのかわからないいが、同時に存在したことは、今考えるだけでも恐ろしい。特にメッシ、シャビ、イニエスタは群を抜いていていたし、他のスタメンの選手構成もほとんどがラマシア出身の選手だった。
戦術はそれを体現できる選手がいて初めて、機能する。昨今、黄金時代を築いた選手たちの退団が続く中で、バルセロナから以前のようなティキタカやポゼッションサッカーの影は悲しくも朽ち果てようとしている。それは体現できる選手が明らかに少なくなってしまったことや、フットボールというスポーツ自身が成長したからだろう。特にメッシの退団後はそれが顕著になっている。CLのグループステージですらメッシ退団後は突破できていないという現状。
いかにメッシという存在がバルセロナにとって大きいものであったのかを物語っている。選手がクラブ以上になるということは、その存在を失った時に初めて、チームが陥っている危機的状況を目の当たりにする。対策を講じていたかと言えばそうではなく。彼中心のチームにすることだけを目的としてきた。そのつけがようやく回ってくることとなり、バルセロナというクラブの歴史や哲学を今一度見直すタイミングに来ていると言えるだろう。
今回記事にしたいのは、バルセロナは果たして今後何を目指していくべきなのかということ。メッシやイニエスタのような選手たちがすぐに出てくるわけではない。ペップのような監督がすぐに育つわけでもない。しかし、我々には哲学やラマシアがあり、またヨーロッパの頂点に戻るポテンシャルを秘めている。
ではその、哲学やラマシアというのはどういうものなのか、どういった歴史の中でバルセロナに浸透していったのか、不調が続く今だからこそ知っておくべきことだと思い、バルセロナの歴史に目を向けていこうと思う。