短編小説「暁に恋して」作 清住慎 ~11.~
11.
高校生の飲酒は法律上禁止されているけれど、ストイックなスポーツ選手でもない限り、飲まない人はいないんじゃないかしら。
「あなたがお酒を飲み始めたのはいつ頃からですか」というアンケートを採ったら、きっとほとんどの大人が「高校時代」と答えると思うのだけど。
私達は、校内でイベントがある度に、終わるとクラスで集まって飲み会を開く。みんな学生だから、場所はやっぱり学校の近くの繁華街になる。先生達もそれをよく知っていて、午後六時前くらいから何人かで繁華街に張り込んでいるけれど、実際にはほとんど見つからない。居酒屋やカラオケボックスでバイトしてる子の紹介や色々なツテを手繰って、私達は毎回無事に酒席にありつくことが出来る。
今回の場所はカラオケボックス。私達は一旦自宅に帰って着替え、バラバラに現地に集合する。どこかで待ち合わせするのは危険。見張ってる先生達の目につく可能性がある。私達はスマホで連絡を取り合いながら、見張りの裏をかいたルートで店に入る。
部屋は貸し切りのパーティルーム。中へ入ると、既に十五、六人くらいが先に来ていた。私は遅い方だった。テーブルにはもう料理やボトル、グラスなどが所狭しと並べられている。
「ヒュー、京野、相変わらずカッコイイじゃん」
「やっぱお前、私服の方が断然いいよな」
「マジイケてるよ、それ」
私に気がつくと、男の子達が賛辞を浴びせかけてくる。私は「ありがと」なんて言ってニッコリほほえむという、お決まりの態度で返す。
でも実は、クラスの飲み会のための服選びというのは結構難しいのだ。あからさまな合コンというわけでもないから、あまり露出の多い服は着られないし、自分だけ目立つような服で他の女の子達の反感を買うのもまずい。ポイントは、「カジュアルなんだけど、着こなし方で結構違うんだね」と思わせる程度に抑えるということだ。口で言うほど簡単じゃない。毎回大変なのだ。
でも今日は一つだけ、いつもの飲み会と違うことがある。それは、今私が勝負下着を身につけているということ。
毎度飲み会の後に、男の子達から、「この後二人で飲もう」とか、「つき合ってほしい」とか色々言われるけれど、特に食指が動かないからたいていは断っちゃう。
だからその先のことを考えて勝負下着で来るなんてことはないのだ。なのに今日だけ特別に着ている理由は、飲み会に霞君が来るって聞いたから。
今まで彼は一度も来たことはなかったけれど、そのことでつき合いが悪い奴だと思われていた面もあったけど、今回軽音部の助っ人でドラムをやったことで、俄然注目を浴びちゃった。
今日の飲み会は、彼が主役と言ってもいいくらい。ステージの後、みんなが絶対に飲み会に来てほしいと迫り、本人は最初気乗りしなかったらしいが、最終的には行くと約束したらしい。
私はステージの後、一度も霞君と話していなかった。彼は軽音部のメンバーと共に女の子達に囲まれながらステージの片づけをしていたし、私は午前中に仕事から解放された生徒の中から数人が選ばれる、解体した部材などの廃棄処理係にあみだくじによって任命され、教室とゴミ集積所を行ったり来たりしていたからだ。
「実佳、こっちおいでよ」
先に来ていた有里と理子が、手招きして私を迎えてくれる。私は二人の間に腰を下ろした。
「遅かったじゃん、実佳」
そう言って、有里が私におしぼりを差し出してくれる。
「ありがと。倫世は?」
「まだよ。あの子いつも早いのにね」
と、理子が答える。
「それよかさあ、ここまで来るの大変だったんだぜ」
「何かあったの?」
「私、理子ん家寄ってから一緒に来たんだけど、途中からずっと黒西が後ろをついて来てさ」
「ウッソ。マジ?」
理子が頷く。
「でさ、キモいから『何で尾けて来んだよ』って訊いたんだ。そしたら『お前らがこれから酒を飲みに行くのは判ってるんだ。今日こそは現場を押さえてやる』って。まあでもそれは判るよ、教師の立場からすりゃあ。でもよ、マジタイミングよすぎ。あれは絶対、理子ん家の近くで張ってたんだぜ。そうでなきゃあ、この辺繁華街の中ならともかく、あんな路地で出くわしたりしねえって」
私は理子の目を見た。理子は無言で頷く。
いい加減ヤバいことになりそうな気がする。黒西が本気で理子を好きなのは判るけど、愛情表現の仕方がひどく犯罪的で間違っている。でも大人でも子供でも、そういう風にしか行動出来ない人がいるのも事実。それが絶対に相手を振り向かせることなどないと判っていても。
話しているうちに、ぞくぞくとクラスメイトが集まって来る。
ふいにみんなが、「わあ」とか「おう」とか声を上げた。ようやくミッキーとタクちゃんが姿を現したのだ。疎らな拍手と今日のステージを褒め称える声がけられる。
続いて一際歓声が上がった。私は直感した。きっと霞君だ。ルームの入口の方を見る。
当たった。霞君が照れて頭をかきながら入って来る。私は周りの目を気にして自制しつつ笑顔になった。が、次の瞬間、その笑顔は凍りついた。
霞君のもう片方の腕に、しっかりと倫世のそれが絡みついているのを見たからだった。
飲み会はミッキーの乾杯で始まり、すぐにハイテンションになった。霞君はミッキー達と上座の方に座り、女の子達に囲まれて質問攻めにされている。彼の隣りには倫世がぴったりくっついている。
倫世は気軽に男の子と腕を組んだり、甘えてしなだれかかったり出来る子だから、彼女の今日の態度を見ても誰も特別なこととは思わない。それでいて、同姓からも悪く思われないのが彼女の魅力。
霞君が手にしているグラスの中身はウィスキー。「俺、ビール苦手なんで」と彼がオーダーしたとき、再びクラスメイトの間から感嘆の声が漏れた。その後の彼の態度から、それがパフォーマンスではないことがすぐに判ったから、みんなホントにカッコイイと思ったみたい。
私はいつも最初の一杯はみんなに合わせて生ビールなんだけど、今日はヤケ気味にジン・トニック。今日はジンの辛さばかりが気に障る。
そのうち席は入り乱れ、幾つかのグループごとに盛り上がるようになる。
私は気づかないうちに、いつもよりかなり早いペースでグラスを空にしていたらしい。急にトイレに行きたくなり、私は席を立った。
トイレに入ると、鏡の前には化粧直しに余念がない子達が溜まっていた。私がそれを横目に個室に入ろうとすると、
「ね、実佳、飲んでる?」
と、声をかけられた。
倫世だった。倫世はあまりお酒に強くないので、すぐに頬が赤くなり、目が潤んでくる。幾ら化粧を直しても隠せやしないんだけど、それがかえって彼女を可愛く見せる。加えてあの大きな胸。やっぱり男の子はこんな子に弱いよね、なんて同姓の私が見ても思っちゃう。
「飲んでるよ」
「そ、よかった。ねえ、いいよね、彼。霞君」
「え?」
倫世が腕を回して私の肩を抱く。
「何て言うの。控えめな魅力って言うのかな。能ある鷹は爪を隠す? こう、ひけらかさないのに滲み出るって感じ?」
「ちょっとぉ。さっき言ってた、演劇部の男の子はどうしたの?」
「ヤメた。だって、霞君の方が全然イイもの」
倫世は屈託なく笑う。
「本気、なの?」
「どうかしら」
私の胸はズキリと痛んだ。倫世がこういうことの答えをぼかすなんて、今までになかったことだ。火に油を注いでしまったような後悔。私は口から出す言葉を間違えた。けれど彼女の気持ちを逸らすためとはいえ、彼の魅力を否定することなど私には出来ない。
パーティルームに戻ると、既にカラオケ大会が始まっていた。ルーム内が薄暗くなっていて、ミラーボールがくるくると天井で回っている。
だけど誰かが歌っているのを気にする子なんていないみたい。自分の入れた曲がかかれば気づいてステージに上がるけど、そこから先は完全に自己満足の世界。それ以外はグループごとに談笑したり、酔い潰れて寝ている子がいたりと様々。
霞君はすっかりミッキーとタクちゃんと打ち解けた様子で、笑顔で話し込んでいる。周りの倫世達が会話に混ざらないのは、音楽談義でもしているからか。
私はちらちらそっちを見ながら、有里と理子の話に適当に相槌を打ちつつ、空のグラスを増やしていった。
霞君を見る倫世の目、ちょっとマジっぽい。彼が倫世に笑顔を返す度、私の小さな胸は痛む。癒す薬の代わりに、私はジンの辛さを求める。
やがて激しいビートのカラオケが始まり、ミッキーとタクちゃんがステージへ駆け出して行った。チャンス。隣りには倫世がいるけど、霞君の前の席は今は空。どんな風に話しかけようとか、まるで考えていないけれど、とにかく彼のそばに行きたい。
私が腰を浮かしかけたそのとき、誰かが肩に手をかけた。
「やあ実佳ちゃん、奇遇だね」
こんな言葉を吐く奴は一人しかいない。大平だ。奇遇なわけねえだろ。クラスの飲み会だってのに。
「そうかしら?」
私は無表情で言った。こんな奴さっさとうっちゃってしまいたい。だけど大平は私の肩を抱いたまま、身体をすり寄せるようにして隣に座り込んだ。私は間髪入れず身体をずらし、肩を抱く手を優しくそれでいて毅然と払いのけた。けれど彼は少しも動じない。
「冷たいなあ。一緒に日直をする仲だというのに」
そのねちっこそうな笑顔に悪寒が走る。それなら少しは手伝いやがれ。いつも私にばっかりやらせておいて。
私は返事をしなかった。目を合わせる気にもなれない。
そんな私の態度を少しも拒絶だと感じ取れないほど彼は無神経。それは日直のペアを組んで既に判っていたことだった。だから私はすぐに席を立つべきだった。けれど酔いのせいか、私の脳からの命令はなかなか四肢を動かしてくれない。
図々しくも、大平はその隙につけ込んできた。あろうことか、私の髪に手を入れて首筋を撫で始めたのだ。
急激に私の身体は粟立った。猛烈に腹が立ち、私は大平の手をバシンと大きな音を立てて払いのけた。
「気安く触らないで!」
その声にルーム内のみんなが凍りついた。ミッキーとタクちゃんも歌うのを止め、私を見ている。スピーカーから流れる大音量の伴奏が虚しく響く。みんなの視線が私に集中する。この期に及んでもニヤついている大平の顔がさらなる苛立ちを誘う。
しまった。こんな注目を浴びては霞君のところへ行きづらい。だけどこの後一秒たりともコイツの隣りになんかいたくない。
私はみんなの視線に刺されながら立ち上がった。とにかくこの場を離れたい。が、一歩目を踏み出したところでよろめいて、反対隣りに座っていた有里を押し倒してしまった。勢いで、グラスや小皿などが音を立てる。みんなが騒つく。
「どうしたんだよ、実佳」
「ご、ごめん有里」
と言った瞬間、猛烈な吐き気が私を襲った。ヤバい! これ以上会話をしている場合じゃない。
私はおぼつかない足取りのままトイレに駆け込んだ。もはや時間との戦い。私は個室の扉を閉める余裕もなく床に座り込み、便器に向かって今まで飲み食いしたものを口からぶち撒けた。体内から逆流するに任せて、私は何度も吐いた。苦しい。涙も鼻水も垂れ流し状態。
まさか自分がこんな目に遭うなんて。これこそ、もっともみっともなく絶対にやりたくないことのワースト・ワンだったのに。今まで少しずつカッコよく思われるように積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。
何て無様。便器を抱いて嘔吐する女。きっと私は明日から、自分の口から吐いたものと同じように、クラスから排泄されるだろう。
吐き気はなかなか収まらない。体温が急激に下がる感覚がある。再び立ち上がってここから出られる日が来るだろうか。
そのとき、ふいに誰かが私の背中をさすり始めた。「実佳、大丈夫?」と気遣う声で有里と判った。他にも何人か近くに人の気配を感じる。でも私に返事をする余裕はなかった。背中をさすられて少し楽になった私は、吐き気が消えるまで体内の全てを吐き続けた。
ようやく一段落したものの、私はかなりグロッキーだった。もう立ち上がるのも億劫だ。
「うがい、した方がいいよ」
と、理子がグラスを差し出した。私は涙目で彼女とそのグラスをじっと見る。
「大丈夫。トイレの水じゃないよ。ちゃんとルームから持って来たんだから」
「はい、濡れタオル。口の周り、拭いた方がいいよ」
そう言って、倫世が心配そうに私の顔を覗き込む。みんなの本気で心配そうな表情が、私の屈辱感を倍加させる。自分がこんな醜態を晒したこと、それを人に見られてしまったことが耐えられず、私の中にある堰が決壊した。
「何よ! 何で私なんかに構うわけ? あんたなんか霞君といちゃついてればいいじゃない!」
倫世はポカンとした表情。
「私なんか放っとけばいいじゃない! ここにいると匂いが移るわ。元々見た目しか取り柄がなかったけど、それすらも今は最悪よ! 臭いでしょ? キモいでしょ? こんな私、もう嫌になったでしょ? だからもう、みんな飲み会に戻ればいいじゃない。
私、みんなを騙してたのよ! 外見カッコよく見せかけていたけど、見てホラ、ホントはこんなに汚ならしい。これが真実の私。
ホントはみんなにアドバイス出来るほど恋愛の経験なんてないし、まだヴァージンだし、キスもしたことないし……。
私は嘘とゲロにまみれた女なの。幻滅したでしょ? 嫌になったでしょ? だからもう、私なんかに関わらないで!」
後で専門家が分析すれば、酩酊と羞恥による感情の暴走で本心が暴露されたとか、現実逃避と自己防衛による排他要求が暴走のトリガーだったとか、色々理屈がつけられるのだろう。でもその時点での私には、飲食物を吐くことと言葉を吐くことは同じだった。
でも遠い。それは間違いなく自分の身体が吐き出しているものであるはずなのに、まるで別の惑星の出来事を望遠鏡で見ているかのようだ。
「早く出てって! みんな自分の夢を持っているんだから、それぞれに生きていけばいいじゃない。私には何もないんだもの。中身は空っぽ。クールを装った外見も、今はもうこんなだわ。もう、私を放っておいて!」
トイレの中はシーンとなった。聞こえるのは私の嗚咽だけ。
「実佳……」
と言ったのは有里。
「ごめん」
「……?」
「私きっと、実佳のこと追いつめてた。私、実佳のこと大好きだから、私の中に勝手に『理想の実佳』みたいなのを作り上げてそれを強要していたんだと思う。実佳はほとんどそのとおりの姿を見せてくれたから私嬉しくなっちゃって……、実佳が本心からそうしたいと思っているのかなんて、全然気にしてなかった。だから今日、実佳が爆発しちゃったのは私のせい。本当にゴメンね、実佳」
「どうして? どうして有里が謝るの? みんなに嘘をついていたのは私よ」
「あのね」
と、今度は理子。
「私、ホントはうすうす気づいてた。実佳が素直な自分をさらけ出せなくて苦しんでいるんじゃないかって。でも、何もしてあげられなかった。私の友情こそ、うわべだけのものだったかもしれないよね」
「止めてよ! 何で理子までそんなこと……」
と私が言いかけたところへ、倫世の言葉が割り込んだ。
「そんなことないよ。どっちも。きっと友情って損得じゃないし、本音で相手と接しなきゃいけないってルールがあるわけでもないと思う。大事なのは、一緒にいて楽しいと思えて、これからも思い続けられるかもしれないって思える、それくらいでいいんじゃないのかな。
友情ってきっと対等。どっちのせいとか、ないよ多分。でも、お酒のせいかもしれないけど、私は実佳がこうやって本音をさらけ出してくれたことが嬉しかったよ。霞君のことで、私に嫉妬するなんて可愛いって思ったし」
「倫世……」
「酔っぱらってゲロったくらいで友情がなくなるわけないよ。だから今日のことで、そんな風に考えなくていいんだってこと、お互いに判ればいいんだよね。っていうか、もう判ったし」
「何で? 何でみんな、そんな風に言ってくれるの? ずるいよ。みんな自分の考えがしっかりあって、将来の夢まであって。私なんか、私……」
私は号泣した。こんなに泣いたのは初めてかもしれない。涙に滲んでいく視界の中、私に手をかけようとする有里を止める倫世の姿が見えた。そう。今私が望むことは、心ゆくまで泣かせてくれること。倫世はさすが大人。ちゃんと判ってる。でも本当は、倫世が大人なんじゃない。私が子供だったんだ。周りの目を気にしすぎて自分を見失っていた。
いつでもどんな状況でも、胸張って自分は自分であると言えること。それが大事なんだっていうことに、私は便器の脇に座り込み、初めて気がついたのだった。
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