短編小説「暁に恋して」作 清住慎 ~2.~

2.

 学校はいつだって恋愛とエッチの話題でいっぱいだ。教科書は本能を理性で抑制するよう要求するが、そんなことに一体どれほどの効果があるというのだろう。

 自分の身体が大人の性に目覚めれば、当然異性のそれにも興味が向く。それが恋愛感情に変わることもあれば、そうでないこともあるけれど、自分の身体の変化と共に発生する感情を抑えられるわけがないと思う。

 抑えられずに溢れ出し、右往左往することが私達の年代には大切なような気がする。完璧に抑えきってしまった人間は、きっと大人になって暴発してしまうんじゃないかしら。

 放課後も昼休みも登下校も、スマホでのやり取りも、話していることは大体同じ。

 誰と誰がくっついたとか、次のデートに着ていく服がどうとか、とうとう彼としちゃったとか。誰だって未知の領域に足を踏み入れるのは少し怖いから、未経験の子ほど熱心にそういった話に耳を傾ける。

 先行して詰め込んだ沢山の知識と半熟な身体をもってして、私達は競争を始めている。他人よりも早く異性を知ることに私達は憂き身を窶す。恋愛感情はその先にある肉体を体感するための手続きとしてしか扱われないこともあり、ときとして手続き自体省略されることもある。

「ねえ実佳、ちょっと聞いてよ。最悪! 超ムリ! 黒西のヤツ!」

 放課後校門を出ると、理子が突然憤慨して言った。一緒に歩きながらもそれぞれスマホに夢中になっていた有里も倫世も、その手は止めずにちらりと振り返る。

「何かあったの? 体育の時間」

と、私は訊き返した。

 黒西は体育の教師だ。私は今日見学だったけど、見ている限りでは特に何の問題も起きていなかったはずだ。

「何? 胸でも触られた?」

と有里が茶化すのに、理子が「それよりひでぇよ、マジで」と吐き捨てたものだから、「ウッソー、なになに?」と倫世まで目を輝かせる始末。倫世は特にこの手の話が大好きなのだ。

「後片づけで用具入れにいたら、黒西が『ちょっと話がある』とか言って入って来てさ。ほら私、前に骨折して一ヶ月くらいずっと体育休んでたじゃん。で、『お前下手すると進級ヤバいよ、実技テストとか全然受けてないし』って言うわけ。それは確かにヤバいから、『じゃあどうすればいいんですか?』って訊いたんだ。そしたらアイツ、何て言ったと思う?」

 私達は理子が答えを期待していないのを判っているから、無言で話の先を促した。

「『個人的につき合ってくれるなら、考えてやってもいい』だってさ! 信じられないでしょ? 何考えてんだ、あのバーコードハゲ。あーっ、もう、ムリムリムリムリ!」
「えーっ! 何それ?」
「マジで? 超ありえない」

 私達は驚きの声を上げたが、そこには「教師のくせに生徒にそんなことを言うなんて」というのと共に、「授業中にそんな下手くそな方法でアタックするなんて」という意味も込められていた。

 私達の年代は異性の視線にとても敏感だ。ある意味それを沢山浴びたくて化粧をしたり、可愛いピアスを身につけてみたり、人よりスカートの丈を短くしたりしているわけだから、ちょっと考えれば気づかないわけがないってこと判るはずなのに、男って意外にそういうことに鈍感だ。本人はさりげなく見つめているつもりでも、女の子には簡単に見抜かれちゃう。

 黒西が理子にだけ特別な視線を注いでいるのに、私達はずっと前から気がついていた。理子にも前に注意するように言ったことがあるのだが、本人はすっかり忘れてしまっていたようだ。

「で、あんたどうしたの?」
「まさか『いいですよ』なんて言ったんじゃないよね?」
「冗談! 言うわけないじゃん」
「じゃ、何て?」
「もう私完全にキレちゃってさ。『何考えてんだ、ふざけんなこのエロオヤジ!』って怒鳴って逃げちゃった」
「へえ、言ったじゃん、理子」
「キンタマ蹴りくれてやりゃあよかったのに」
「でもさあ、アイツが私の体育の成績つける権限持ってるのは事実じゃん。このことで嫌がらせされて、マジで進級出来なかったらどうしようって、ちょっと心配になっちゃってさ」
「そっかあ」
「アイツなら、やりかねないよね」

「大丈夫よ」
と、私は言った。
「追試くらいやってくれるでしょ。もしやってくれなかったら、みんなで黒西のところへ行って、『用具室での話、聞いてました。それって犯罪じゃないですか。校長や教育委員会に相談しましょうか』って脅せばいいのよ。四人もの女生徒が証言すれば、アイツの首なんか簡単に飛んじゃうわよ」
「そうか。そうだよね、さすが実佳」
「もしこれ以上何かされたら、私達協力するからね」
「うん、ありがとう」

 ちょうどこの話題が終わった頃、私は三人と別れた。彼女達はこのまま駅前のケーキ屋へ行こうと誘ってくれたけれど、今日はバイトの日だったから一旦家に帰ることにした。

 それにしても、教科書の内容を伝達するのが仕事である教師ですら、授業中に生徒を口説こうとするのだ。彼らは身をもって、立場も年齢も関係なく相手を手に入れたいと思うことが恋愛の本質だと教えてくれている。

 こういう生きた教材から、私達は少しずつ本当のことを学んでいくのだ。

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