人は害なのか

新型コロナウィルスが猛威を奮っている。

感染者数を減らすことは大切だ。どこかで食い止めなければならない。

だから理解は出来る。ソーシャルディスタンスの確保や、ビニールシート越しの接客や、接客自体の廃止も。

みんなで集まって遊んだり、飲んだりすることも出来ず、学校にも行けないことも、職場で勤務出来ないことも。

しかし、その結果生まれるのは、自分以外は害であるという超独善的社会だ。

咳一つされただけで感染したらどうしてくれる、と敵意が生まれ、ソーシャルディスタンスを侵害されたら、不快に思ってその人を睨みつけて避けるか遠去ける、他人をウィルスだと思い、害だと思い、常に自分だけは安全圏にいようとする。

感染リスクが高い職場で命懸けで働いている人達もいる。彼らの一人が感染しても、安全圏にいる人達にはただの感染者数1に過ぎない。安全圏にいない奴がいけないのだと思う。

安全圏にいるよう指示しない会社をブラックだと断罪し、安全圏から出る奴を悪者扱いし、家から出るなと言われているんだから、買い溜めして何が悪いのかと誰かのせいにする。

ネットでクリックするだけで安全圏でものを手に入れる人達は、それを命懸けで運ぶ人達のことを考えたことがあるだろうか。

それでどちらも一律10万円は正しいのだろうか?

緊急事態宣言が解除されても、ウィルスがなくなるわけではない。他人という害に怯えながら暮らす日々は続く。

そこでは人間としての本質が問われるだろう。

人は皆自分が大切だ。自分の命を脅かすものは排除したい。それは生物の生存本能として間違っていない。

しかし、その上で理性と情が持てるのが人間たる所以だと思う。

あなたは今、路上で困っている人を手伝うことが出来るだろうか?

白杖をついて迷子になっている人がいたら?

車椅子で動けなくなっている人がいたら?

その人達がマスクをしていなかったら?

この問いに正解はない。

でも人が人を労わる気持ちを失ったら、新型コロナウィルスを駆逐出来たとしても、それは人類の勝利だと言えるだろうか?

賛否両論あると思うが、批判を覚悟の上で、あえて書いてみる。

このウィルスの目的は何だろうか。

とても明快だ。害である人間と人間の行動を減らすことだ。

カーボンオフセットやSDGsを掲げてはみたものの、利害関係の調整がつかずに遅々として進まなかった状態を、ウィルスは一気に解決してしまった。証明してしまった。

人間と人間の行動を減らせば、簡単に青い空は取り戻せるのだと。

人間はこの先どうしたらいいのだろう。

人は害なのか。

人に限らず、生物は自分の生命を脅かすものを害とみなし、攻撃する。

人は人以外の生物から見たら害だろうか?

そして人にとって人は害だろうか?

もう一度問うてみたい。

人は害なのか。




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