「型」を決める「型」にはめる
自分、ライターなんですが、文章書くのって結構時間かかる方なんです。
勢いに乗れば、バババーっと書けるんですが、その前に「何を書こうかな」「どう書こうかな」でじっくり考えてしまう。
ふと思えば、オフィス勤務のときも、なにげないルーチンワークのはずなのに「うーん」と考えてしまう自分がいたりして。
つくづく性にはあってなかったんだなと感じたりも。
(いや、収入の面で勤め人は最高なんです。できることなら戻りたい!)
目標:できることなら、短い時間で書き上げたい。
「うーん」を再構築
この「うーん」って時間、実のところ決して無駄ではないと思います。
そりゃ考えてるんですもの。内容・読みやすい文章・どう読まれるか・バズるか、などなど。
自分の場合は日本語のリズムに凝ることもあります。あまり同じ言い回しで終わりたくない。あえて統一するなら韻を踏むような感じにまとめたい。など。
「ふんふんふ~ん」な感じで読まれることが、いいことかな、など書いてる途中に思えてきました。解説するときはじっくり読んでほしいけど、でも軽いノリも忘れないでほしいし、書く側としても軽さは残したいです。
そう、書き手としても、「ふんふんふ~ん」で書きたいところはあったりするのです。
短歌を急ピッチ製造中
noteが開催している #クリエイターフェス 。
イベントの一つに「毎日note」があります。(勝手に命名しました)
要は毎日noteを更新しようというチャレンジ。
無謀にもサンチェス、挑戦しています。「続かない性格」をどうにか続かせようとする努力(涙)。すぐやる課もそうなんですが、
この一年、自分の行動の見直しや性格矯正にいろいろ手を出してみました。
結局のところ、習慣化って大事なんですよね。「息を吸って吐くように、物事をこなす」「特別感は出さない」
10月25日現在、まだ毎日更新は続いています。
この執筆活動の中で、短歌と言うのは、自分の生活に意外とフィットしているんじゃないかと思い始めました。
記事を書けないときの逃げだったはずの短歌が、自分の中で躍動してきているのです。記事を書けた日でも、スマホで五七五七七を詠まないとすまない自分がいます。
短歌の何がいいのか
ちょっとまとめてみましょう。
七五調のリズム
三十一文字という制限
型がある
本日の本題です。やっと出てきました。「型がある」。
自分の場合、5分もあれば短歌を詠むことができます。それこそ昨日の記事は、路面電車の待ち時間に書きました。
型があることで、「それに嵌めさえすればいい」という感覚は執筆や作品作りのファーストステップを軽いものにします。31文字だけという字数制限も心理的影響が大きいかもしれません。Twitterの140字も同様。「大したことは書けないし」という無意識が、あまり自分を気負わせることがないのかも。
「型」に嵌める
しかし、31も文字でもうならせることはできます。型に嵌っていても自由度を失うことはありません。実際、「サンチェスさんのこの歌好きですよ」と言われたことがあります。コンスタントにnoteのスキも集まっています。
そう、字数制限や型があっても魅せられる。
ならそれを逆に使って、こっちから型を作ってみてもいいんじゃないか。執筆にもある種の型を作ってみたいな、と感じました。
ネット上には、すでにいろいろなライティングテクニックがあります。結論を先に持ってくることだったり、効果的にボタンをクリックさせるレイアウトだったり、強迫観念を植え付けるだったり。
どれを実践してもいいのですが、自分のスタイル確立のために「型」を作ってみることのも1つの手なんでしょうね。
いくつかのパターンがあれば、書く際の「うーん」は短くできそうです。
ということで、今日書き上げ予定の原稿に、さっそく適用してみよう。