蛞蝓           289-8/21Ⅹ


     鉢植えの土に蛞蝓這った跡

 胡瓜の種を植えたポットは10個である。芽と思われるものが出てきているのはそのうち三つくらいである。土だけのポットにきらきらと光る糸状の跡があった。そう言えば、きのうは雨だった。きょうは打って変わって暖かくていいお天気であった。都忘れのつぼみのところを一輪挿しに生けた。

 「やはり野に置け蓮華草」ということばがある。

蓮華(れんげ)の花は野の中で咲いているからこそ美しい眺めなのであって、摘んで家に持ち帰っても萎(しお)れてしまうだけだ。 やはりそのものに合った環境に置くことが大事だという意味である。

 このことばが下記のような状況から生じたとは驚きであった。

播磨(現在の兵庫県)の俳人、滝野瓢水が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
この句は、自然の中で咲く蓮華草が美しいのと同じように、遊女は色町にいてこそ美しく見えるという意味。    (「故事ことわざ辞典」から。)

 「きれいなものは遠くにあるからきれいなの」ということか。

 庭の都忘れは、窓からでも十分見える。それでも家の中にも置きたくなって手折った。確かに家の中で咲いてしおれていく姿は無残である。何なのだろう、これは。家の中で咲かせたい気持ち。煩悩だろう。まさに遊女を身受けしたいという気持ちと符合する。


異存・難色の発声(仮想)

 このシミュレーションを続けていると、どうしても中断中のようになってきてしまう。言ったことを忘れてしまう。言ったそのときは、あっと思う。しばらくすると忘れてしまう。何か言ったような気がするだけである。事実上の中断と言ってもいいだろう。だったら中断でもいいと思う。目先を変えて進めばいいだけだ。

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