鐘霞む蛙の目借り時     261-1/21

     床の中鐘霞む中二度寝かな

 ぬくぬくとしたふとんの中で目が覚めて少し経ったら鐘の音が聞こえた。春の季語「鐘霞む」を使ってみたいと思っていたので、きたーと思った。ふとんの中で句を考えていたらまた眠くなってしまった。

 中七を「霞む鐘の音」にしようかとも考えた。「鐘霞む」自体が音が霞んで聞こえるという意味を含んでいるのでやめた。「中」が反復された。ふとんの中で鐘を聞きながらという情景が浮かんでくればいいなと思う。

     針山に刺して蛙の目借り時

 きょうは裾除けの立て衿を裾前に縫い付けた。足がつりそうになった。布をぴんと張るために、足の指に挟んで引っ張る。上前のときはつりそうになって、下前のときは大丈夫であった。上前のとき四苦八苦して何度もやったのがよかったのだろう。裁縫で足がつるとは初めてのことである。この技を使ったのは初めてだからである。くけ引っ張り器をセッティングする手間を惜しんだこととこの技を習得したかったというのがやってみた理由である。裾除けを作るのは二回目である。一回目のときのことは忘れた。それでも二回目だと「そういうことか。」と納得できるのは、忘れていても経験が生きているということである。一回目の間違ったやり方も見えてくる。不思議だ。どうやって作ったか忘れているのに、前よりもわかるなんて、不思議だと感じる。

 「蛙の目借り時」は眠いという意味合いの、春の季語である。この季語も使ってみたくて句を作ってみた。春というのはなぜこうも眠いのか。

  

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