八十八夜・逃水      433-2/21Ⅴ


     また地震八十八夜お茶を飲む  暦

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 きのう詠んだ句「陽炎燃ゆ水族館へ向かう道」と「陽炎の消えては燃える起伏道」で、「逃水」ということばの方が「陽炎」よりふさわしいと思った。

陽炎 地面から立ちのぼる蒸気で空気が乱れ、風景やものが揺らめいて見えること。光の屈折率の変化によって起こる現象で春に限ったものではないが、のどかな感じがするので春の季語としている。

逃水 よく晴れた日の熱せられたアスファルト路面に、水溜りができたように見える蜃気楼現象。地表近くの気温が非常に高くなり、空気の上下層に密度の濃淡が生じるため、光が屈折して起こる。古来、武蔵野の逃げ水が有名で、歌にも詠まれた。「地鏡」「擬水」とも呼ばれる。

蜃気楼 地表近くの気温が場所によって異なるとき、空気の密度の違いによって光線が屈折するため、地上の物体が空中に浮かんで見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象をいう。春によく見られる。富山湾や琵琶湖が有名。
                   (「きごさい歳時記」解説から)

 陽炎と蜃気楼は似ている。明らかに逃水はこの二つと異なっているようである。学研古語辞典によると逃げ水とは、「春に草原などで、遠くに水があるように見え、近づくと、それが遠ざかって見える、一種の蜃気楼(しんきろう)。武蔵野(むさしの)にあるとされていた。」とある。まさにこの現象を言いたかった。逃げ水は蜃気楼の中に含まれるということである。草原でも発生するのだろうか。どんな風に見えるのだろう。
 逃げ水自体が「消えては見える」ので、「陽炎の消えては燃える起伏道」は、逃げ水と起伏道、あるいは、逃げ水とだけ言っているようにも思える。直すとしたら、水族館が含まれている句の方が修正可能か。

     逃げ水や水族館の道起伏  暦

 起伏を使ってしまった。「水族館への」の八音を中七とするため「水族館の道」とした。無理があるだろうか。水族館の中の道にも取れてしまう。

     逃げ水や水族館へ向かう道  暦

 季語を替えただけになったものの、なんかこっちの方がよさげだ。

 ところで、goo辞書の「蜃気楼」におもしろいことが書いてあった。

《蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えられたところから》大気の下層に温度などの密度差があるとき、光の異常屈折により、地上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたり、遠くの物体が近くに見えたりする現象。海上や砂漠で起こる。日本では富山湾で見られる。海市 (かいし) 。

 蜃気楼の「蜃」は大蛤のことだった。辰に虫。


異存・難色の発声(5回でアウト)

 カウント2でセーフだった。

     

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