着ぶくれ         383-1/21Ⅴ


     着ぶくれて自転車ららら晴れ間かな


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 先日、十二月は「納めの」が付く日が多いということを書いて、この分だと暮れまでにまた出てくるような気がすると踏んでいたら、おととい12月25日の日めくりに「終い天神」とあった。一年最後の天神の縁日である。幼稚園のころ、朝のあいさつに「天神様おはようございます。先生おはようございます。みなさんおはようございます。」、帰りは「さようなら」バージョンであいさつしたことを思い出す。


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日めくりのことばシリーズ たぶん今年はあと1回くらいだろうと思う。

待たぬ月日は経ちやすい 待つことがなければ時はあっという間に過ぎ去る、何かを待っている時には信じられないくらいに遅い、という意味で、説明の必要がないくらい普遍性の高い感興である。(「コトバンク」から)

 初めて知ったことばである。本当にそのとおりである。

人を思うは身を思う 他人に情けをかければ、やがて報いられて自分のためになる。情けは人のためならず。 (「goo辞書」から)

 これも初めて聞く。「身」は自分のことであるということを知った。確かにこのことばもそのとおりである。

来る者は拒まず(きたるものはこばまず) 《「春秋公羊伝」隠公二年から》心を寄せて近づいて来る者は、どんな者でも受け入れるという意。「来る者は拒まず、去る者は追わず」(「goo辞書」から)

 これは意味よりも読み方を初めて知った。「くるもの」だと思っていた。

正直は一生の宝 人間の真の幸福は正直によってもたらされるもので、正直は一生を通じて大切に守るべき宝である。(「goo辞書」から)

 まあそうだろう。

笑って損した者なし いつも明るくにこにこしている人は、他人に好かれ幸福を招くということ。)「ことわざ辞典」から)
大は小を兼ねる 大きいものは、小さいものの役目もすることができる。(「goo辞書」から)

 この解説はシンプルで好きである。

目で目は見えぬ 自分の欠点には気づきにくいということのたとえ。自分で自分の目を直接見る事はできないという意から。(「ことわざ辞典」から)

 気づきにくいというよりもこのたとえでは不可能だと言っていることになろう。鏡で見ることは見えると言えるのだろうか。うまいところに気づいたという自負心が出てしまった。


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 日めくりを見直してみて、12月21日の「星祭り」が気になった。密教の占星法からきているということである。「本来は中国の道教の冬至の祭儀」(「Wikipedia」から)だそうである。


異存・難色の発声(5回でアウト)

 手首のゴムは便利である。一つ難点をあげれば、カウント数を忘れてしまうということである。今ゴムは左手首にある。カウント2か4である。ゴムが右手首にあったときから1か3か曖昧であった。こういうときは多い方としようと思う。ゆくゆくは1日1回のサドンデス制覇を目指している者として、弱気の虫は大敵である。ということで志は高く、現在カウント4として今のところセーフである。

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