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暖か            248-1/21

  

  アイロンの湯気暖かき西の部屋

  アイロンの湯気暖かし木の芽時

 一句目は、「暖か」という季語を使った。アイロンの暖かさでもいいのかなという疑問から二句目を作った。さて、暖かさはアイロン由来であろうか。よく考えてみると、たとえアイロンであろうが、暖かいということば自体が、やっぱり春の体感を表すことばなのであった。外側から来るものというより、こちら側の感覚である。というか外と内が融合したものか。夏だったらどうだろう。同じ温度でも暑苦しく感じることだろう。秋と冬はどうか。あれっ、やっぱりアイロンの湯気だと「暖か」になるか。とすれば、季語で使う「暖か」は気候限定ということになるのだろうか。なぜなら他の季節の相応する季語も決まっているからだ。

四季の体感温度をあらわす季語として、夏の「暑し」、秋の「冷やか」、冬の「寒し」に相応する。          (「きごさい歳時記」から)

 句の中における季語の認定は何をもってするのだろう。


 話は変わって、今日の日めくりに「大欲は無欲に似たり」という文が載っていた。意味を調べてみた。

① 大きな望みを持つ者は、小さな利益に目もくれないから、欲がないように見える。
② 欲の深い者は、欲のためにかえって損をしがちで、欲のない者と同じ結果になる。また、大欲を抱き目的を達成したとしても、その結果を有効に用いなければ、結果として小欲と同じである。
※徒然草(1331頃)二一七「究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり」 出典 精選版 日本国語大辞典

 徒然草第二百十七段おもしろかった。大福長者の意見が特におもしろかった。兼好に「人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずる事なかれ。これ、第一の用心なり。」と言っているところが私にとっては目から鱗が落ちる場面であった。「常住」とは「無常」の反対である。このことばは一種爽快とも感じられた。どちらかというとずっとそっち寄りだったからである。そっちというのは諸行無常の方である。きっと無理に寄せていたということもあると思う。 

 ともあれ、大福長者のその他の意見もうなずけるところがあり、そしてこの長者の意見から兼好の結論へと通じていくダイナミズムに感銘を受けた。ただ、似ているということは、違うということでもある。と言えども「人間常住の思ひに住して、…」、ここまで徹底すると、どうなるか。ある予感がする。いつも同じだいつも同じだこの世は永遠だと暮らしてみたら…。どうだろうか。


 好き嫌いを表明するにはあまりにも浅薄な知識ではあるものの、兼好は今のところどちらかと言えば嫌いである。このお話はとても好きである。ここの兼好は少し好きである。

参考文献 『徒然草』に見られる経済観-第二百十七段を中心に- 韓智娠



 最後にもう一句

   口きかぬ決意も緩む春の宵

 この句は宵の前に予測して作った。ほぼそうなった。

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