橇と氷柱そして五日 389-2/21Ⅴ
きのう詠んだ句「軒下の氷柱落として坂滑る」はわかりにくかった。なんのこっちゃという感じである。言いたかったのはこうである。
風の子の安全確保氷柱落とす
字余りである。安全を確保したうえで、
軒下に坂をつくりて橇遊び
さて、季語にあるのは元日から三日までだと思ったら四日も五日も六日もあった。七日まであるのであった。きのう四日飛ばしてしまった。
五日には買い物する気起きてきて
急ごしらえで詠んでみた。
異存・難色の発声(5回でアウト)
セーフ。きょうは態度が悪かった。無言で無理やり冷蔵庫をしめたことが悪かったと思う。発言が回避できればいいのだろうか。答えは自ずと出ている。この不快感はたぶん自分に対する不快感だ。
きょう読んだ『ぼくのいもうとはかわいくない』という絵本がよかった。おにいちゃんのことが大好きな妹がおたふくかぜにかかって寝込んでしまった。学校でも静かに過ごせるし、家でも宿題がはかどる。とか言いながら、ノートは真っ白だ。妹に(一見)邪魔(だと思われること)をされながら広げていたノートの方が字がいっぱいだった。障害(になっていると思われること)があった方がきっとがんばれることってある。自分のことと重ね合わせてなんか響いた。きょうだいとか家族とかなんだか不思議だ。他人のようにふるまえたらいいと思う。他人だったらうまくいくと思うこともある。そう思ってもそういう風にするのが難しい。もう他人のように接したいと思った時点で他人となんか違う。
邪魔されていると感じていることは本当は助けられている。なんだかそんな視点に気づく。