「ファブラボはネットワークで動く」を、改めて実感した出来事
ファブラボCSTに籍を置いて、オリエンテーションを受けに来てくれる学生にはいつも、「ファブラボはあなたたちの目の前にある施設のことだけをさすわけではない、他のファブ施設も合わせた共創のネットワークだ」と強調します。世界のファブラボネットワークの憲法と言ってもいい「ファブ憲章(The Fab Charter)」にも、「ネットワーク」だと明確に書かれています。
でも、多くのユーザーにとって、ファブラボはやはり目の前の施設のことをさします。また、来訪者には「私たちはネットワークです」と口では言っている私たちも、ややもすると一施設の視点でしか物事を捉えていないのに気付かされることがあります。
そんな自分が、「ファブラボはネットワークである」と改めて実感する出来事が、今週起こりました。今日は、その話を書きたいと思います。
私の派遣されているプロジェクトのカウンターパートで、ファブラボCSTの運営を立場上取り仕切っているテンジン・ドルジ君と、今年のファブアカデミーを修了したCSTの他の3人の教員を、10月12日からインドネシア・バリ島で開催されている第17回世界ファブラボ担当者会議(FAB17)に送り出し、私は1人で留守番係を務めています。主力のカウンターパートが不在でも、ファブラボの活動は継続させる必要があります。私が一時帰国から戻り、ファブラボCSTに復帰した10月7日(金)以降、多くの活動を、学生ボランティアにも手伝ってもらいながら、なんとか続けてきています。
事の発端——10月17日(月)
そんな中で、10月17日(月)の昼休み、計装制御工学科の3年生、マニ・クマール君がファブラボを訪れました。「25日(火)に行われるヒンドゥー教の祭事で使う祭壇を作りたいので、大型CNCを使わせて欲しい」との要望でした。
正直なところ、私は相当困惑しました。一応、他の目的もあって切削に使える板はストックがありましたが、肝心の大型CNC(ShopBot)は自分で操作したことがない。今のファブラボCSTで、テスト切削でもいいのでShopBotを操作したことがあるのは、バリに行っているテンジン君しかいません。念のため、バリのテンジン君にSMSで相談しましたが、「遠隔指示でやってもらうのは不可能ではないけれど、自分もあまり自信がない」と、消極的な即レスが返ってきました。
その一連のやり取りを通じて、私は、現時点でShopBotを無理して使用するのは避けた方がいいのではと考えるようになりました。組織として引き受けられる体制が整っていない。こんなタイミングでShopBotを動かすのは、リスクが大きすぎる。かといって学生を今落胆させたら、ファブラボCSTに対する学内からの信頼を開所早々から損ねることにもなってしまう。マニ・クマール君から製作したい祭壇のイメージ写真を見せてもらい、電動のこぎりとレーザー加工機を組み合わせたらできないだろうか―――私はそう考え直し、再びテンジン君と相談しました。彼も異存ないとのことだったので、夕方再度ファブラボに来たマニ・クマール君にその方針を伝えました。
発想の転換——10月18日(火)
祭壇製作どうしようか、木材加工が自分に容易にできるのだろうか―――などと考え憂鬱な一夜を過ごした翌朝、いつも通り早めに起きて今日やることを頭の中で整理していた時、突然、1つの妙案が舞い降りてきました。
今のファブラボCSTにShopBotを操作できるスタッフはいないけれど、ブータン国内を見渡したらいるのではないか。例えば、首都ティンプーのファブラボ・マンダラ(FabLab Mandala)で木材加工を請け負っていたタシ君とか、ファブラボ・マンダラの前身で、以前「ファブラボ・ブータン(FabLab Bhutan)」と呼ばれていたファブ施設の初期の有力ユーザーの1人だったビシュヌ君です。ShopBotではない中国製の大型CNCを購入してすでにビジネスで成功を収めているビシュヌ君はともかく、ファブラボ・マンダラの経営譲渡以降木材加工機械が利用できなくなったタシ君なら、ひょっとしたら来てくれるかも…。
でも、タシ君の連絡先がわからない。そこで、昔のファブラボ・ブータンで働いていた元スタッフで、起業してタシ君と一緒に仕事すると言っていたケザン・ナムゲル君にSMSを送ってみることにしました。昨年5月にブータンに再赴任してきて以来、私はファブラボ・ブータンの初期の若手スタッフとは細々とですが連絡を取り続けているのです。ShopBot操作を学生に指導するのに、近々プンツォリンまで来れないか―――ケザン君に訊いてみたところ、「明日自分が行く」とすぐに返信がありました。タシ君は元ファブラボ・マンダラ代表のカルマ・ラキさんに雇われて専属になっているので声がかけづらい。自分もShopBotは操作できるし、聞いた感じだと1日あれば切り出しまで終わらせられるとのことでした。
なんという幸運!「ファブラボのネットワーク」とはちょっと意味合いが違うけれど、2017年7月のファブラボ・ブータン開所の当時から彼らと交流を続けていたことが、こういう形で役に立つとは!!
マニ・クマール君には、ティンプーからShopBotの操作ができる専門家が指導に来てくれるから、明日の夕方以降、予定を空けておくよう伝え、それまでに2Dのデザインデータを準備しておくことも付け加えておきました。
リソースパーソン到着——10月19日(水)
ケザン君からは、もう1人アシスタントを連れて来たいと言われ、私は了承していました。ただ、「何時にCSTに到着できるかは、タクシーを拾えるかどうか次第」という回答も。ようやくティンプーを出発したとの一報が入ったのは14時30分過ぎ。ティンプーからプンツォリンまでは、4WDで3時間30分から4時間程度かかります。
さらに、「あと1時間で大学に着く」と彼から連絡があったのは18時30分。マニ・クマール君には、19時30分にファブラボに来るようすぐに連絡を入れました。
そして、ケザン君はアシスタントのプラニム君を伴って19時30分過ぎにCSTに到着。その足でファブラボにまで来てくれました。さっそくマニ・クマール君たちからデザインスケッチを見せられ、作業の段取りを議論しました。結果、これから学生にはスケッチ描画に基づく2Dデータ作成に着手してもらい、翌20日は終日使って作業を片付けるとの方針が決まりました。ケザン君たちは、荷解きのために宿舎に引き揚げました。21時のことです。
さあ、短期決戦——10月20日(木)
決戦の朝です。ケザン君とプラニム君は、9時30分にはファブラボに到着。この日早朝に行われた試験を終えたマニ・クマール君も、クラスメートを伴って10時にやって来ました。
さっそく作業開始。先ずは学生が作って来た2Dデータを見て、これを改めてCorelDRAWで描画し直すことになりました。描画が済むと、これを10分の1に縮小して、レーザー加工機で切削するモック作り。組立がちゃんとできるデザインであること、パーツの点数が正しいこと、出来上がりがイメージと合っているかどうかなどを確認し、昼休みを迎えました。
午後はいよいよShopBotの操作。難なくセットアップを終えたケザン君たちは、必要なパーツを次々と切り出していきます。このあたりの工程は、彼らに任せ、学生にはずっと張り付いてマンツーマン指導を受けてもらいました。切削屑やホコリが舞って、ゴーグルやマスクを着用していないと作業スペースに立ち入るのは難しいので、私は時々CNCルームを訪れ、進捗を確認していました。
そして、夕方までにはすべての切り出しを完了。切削屑を掃除機で吸い上げる清掃作業は、学生たちの仕事です。さすがに今日中に出発してティンプーに戻るのは困難だと判断したケザン君とプラニム君は、プンツォリンでもう1泊することにして、19時過ぎにはファブラボを引き揚げていきました。
仕上げ――10月21日(金)
こうしてパーツの切り出しを終えたマニ・クマール君たちの、次の仕事はやすりがけと組み立てです。この日、朝方ファブラボに立ち寄ってくれたケザン君たちから次の指示を受けて、学生たちはCNCルームと木工ルームを利用して最後の仕上げに取りかかりました。
夕方、事務所にいた私のところにマニ・クマール君がやって来て、「サー、ちょっと見に来て下さい!組立てやってみました」と教えてくれました。得意顔で私にも組み上がった祭壇を見せてくれました。自信に満ちた、いい笑顔です。
「ケザン君たちから教わったこと、今度は学生たちにも伝えろよ。その場は用意するから」———彼らがマンツーマンでケザン君たちから習ったことは、さらに後に続くファブラボCSTのユーザーにも伝えていくことが求められます。それは、ファブラボの棚やワークベンチ、椅子などをこれから充実させていかないといけない私たちにもいえることです。この2週間留守番している間も様々な行事が続き、ファブラボのファニチャーの拡充には取り組む時間が作れませんでしたが、これからは少し腰を据えてShopBotと向き合えるのではないかと見込んでいます。
ケザン君から聞いたこと、思ったこと
学生が作りたいと相談に来たことを、「できない」と突き返すのではなく、「どうやったらできるか」を考え、こうしてなんとか製作につなげることができました。課題をクリアでき、スキルも学べた学生たちは当然ハッピーでしたし、ケザン君たちにも、講師謝金としての現金収入と、加えてファブラボCSTの施設を訪れ、利用するという機会を得てもらうことができました。もちろん、私とファブラボCSTにとっても、ホッと胸をなでおろす結果を得ることができました。
ファブラボ・マンダラが今年8月に王立ボランティアプログラム「デスーン(DeSuung)」の技能研修事業(DeSuung Skilling Programme、以下DSP)に経営譲渡されたことで、それまでファブラボを利用できていたケザン君たちは、DSPの運営する新たなファブ施設にはアクセスができなくなってしまったと聞きました。ファブラボ・マンダラの工作機械は、元々ファブラボがあったティンプー市南部のバベサ地区から、北部のタバ地区に全部移送されたそうです。このように、もともとファブラボに造詣があり、施設を利用して機械を操作するスキルも有している彼らが、その知見やスキルを生かすことができなくなっている状況はとても心配です。
一方、今年6月、セルビタン地区に新たに「スーパーファブラボ(JNWSFL)」がオープンしました。そう聞くと、ケザン君たちはスーパーファブラボを利用すればいいではないかと思われる読者もいらっしゃるかもしれません。しかし、過去にいろいろな経緯があって、スーパーファブラボはファブラボ・マンダラとは必ずしも良好な関係が築けていません。ファブラボ・マンダラに近かったケザン君たちは、スーパーファブラボを気軽に訪れることができる状況でもないようです。単なる私の印象論ですが、スーパーファブラボは敷居が高いように感じます。気軽にフラッと訪問できる雰囲気ではないのです。また、産業界のニーズに専門家チームが応える体制をとっているスーパーファブラボと、逆にものづくりの大衆化をまかりなりにも指向し、地元の小規模零細企業ともそれなりに協働しようとしていたケザン君たち元ファブラボ・ブータンのスタッフとは、ものの見方も違うと感じられます。
ケザン君が今ティンプーでやっているのは、地元の小規模零細企業の事業所で生じている機械の不具合の修理を請け負ったり、そこで必要となるスペアパーツの外国からの調達などを代行する仕事です。その実績が口コミで広がり、それで新たな仕事が舞い込んでくるのだそうです。元ファブラボ・ブータンの初期のスタッフには、こういう何でも屋的な働き方をしている人が数名います。請け負うひとつひとつの案件は小さく、需要も小さいですが、要請される内容は多岐にわたります。こういうロングテールのものづくりのニーズに応えられるのが、ファブラボで鍛えられたケザン君たちの良さだといえます。
彼らの活躍の場をもっと作っていきたい、もっといい報酬で働けるよう、実績をどんどんつけさせてあげたい。今後も、私のいるファブラボCSTの活動で、何か手に余ると思うような課題が持ち上がった時には、ケザン君や元ファブラボ・ブータンの初期のスタッフにサポートに来てもらえるよう、私も考えていきたいと思います。