恋愛相談の匙を投げた。
私は述べ30時間、中高部活が同じだった、親しい先輩からの恋愛相談に乗っていた。
正直私もよく分からないんですが、という前置きがいるくらい恋愛に対して経験が皆無な後輩になぜ相談するのだろう。先輩曰く、私はとても話しかけやすいそうだ。それと、半年前に私が「誰かを好きになってみても良いかもしれませんよ。」という趣旨の発言をしたそうで、そこから自分の中に芽生えた恋心を認識したらしい。
やってしまった、と思った。正直覚えていない。
私の責任もあるなら申し訳なさすぎると思い、ちゃんと相談に乗ることにした。
失恋の乗り越え方の相談にも乗っていた。
何日もかけて話を聞き続けた。
時間以外の解決法を思いつく限りたくさん提案した。慰めて、きっと大丈夫ですよと言い続けた。
一緒に悲しんで、少しでも痛みが和らげばと向き合い続けたが、今度は第三者である私も疲れてしまった。話を聞くたび、心と時間がすり減っていく。
最初の恋愛相談から3ヶ月ほど経った頃、先輩自身は彼女との関係に向き合えていない事が分かってしまった。
振られてもなお、またすぐに仲良くなれる希望を抱いていて、現実に向き合えていなかった。
建前100%の別れ話に希望を持つなんて。
いつになったら、きちんと向き合えるのだろう。
苦しみつくす覚悟ができるのだろう。
だんだん相談だけではなくて、ただの雑談に
変わっていったのも、甘えだと思った。
その雑談は、本当は彼女としていたものだ。
彼女なら、楽しく応じていたのだろう。
でも、私はその話題に興味が無かった。というか、嫌な記憶しかないトラウマすらある話題だった。
ついに私は、有料のカウンセリングと公共の相談窓口を提示して、恋愛相談の匙を投げた。
50分5000円〜
カウンセリングの料金は、時間に対しての対価をはっきりと示している。カウンセリング30時間分は12万5千円。私の時間もタダではない。
最低賃金だとしても、30時間×1100円で3万円弱の価値ある時間を先輩に善意で差し出した。
そういえば私自身が、サービス残業に慣れすぎて時間の価値をとても低く見積もっていた。
見返りも求めないで相談に乗って欲しいとか、
これって、やりがい搾取やん!!
と気づいた時にはもう遅かった。
哲学書を読んでみてはどうですかとか、白い紙に思いの丈を書き続ければいいんじゃないですかとか、行動認知療法や森田療法の精神医学的なアプローチを試してみてはどうですかとか、私の助言が先輩には全く合わなかったのだろうか。どんな提案をしても、何も解決されず毎日のように連絡が来ていた。
余談だが、先輩曰くわたしの見かけは「ふわふわ系の、話しかけやすくて小さくていつもニコニコ笑ってる子」だったそうで、この間話してみて性格がその真逆で「冷酷なほど現実的」と感じたそうだ。
だから、これから親しい人が勘違いの挙句に誤って私のことを好きになったとすると、全力で止めると言った。私の将来にかかわるので、いくらなんでもやめてほしいと思った。先輩が、蜘蛛の糸の後続の人たちみたいに見えてくるやん。
「人生は諸行無常」と、悲観的に人生を見つめている私と、「衣食住揃っていて大学まで行けるのは当たり前」「あわよくば彼女と…ぐへへ」と楽観的に考えている先輩とでは価値観が違いすぎる。
先輩はもっと早くに相談相手を間違えたことを気づくべきだった。
これが最善策、最適解であるかどうかは分からない。ただ一つ言えることは、辛いことの乗り越え方の選択肢は、複数であることが絶対に良い。
また、その選択肢を知ってきちんと試すべきだと思う。少しでも良くなることを願います。
ふわふわしてない後輩より。
見出し画像は、告白するか云々で悩んでいた先輩に、神頼みを提案している様子。