見出し画像

お久しぶりです…1000日チャレンジゴールのご報告…(目標達成ならず、ですが💦)

たいへんご無沙汰しております。えとうともこ@福岡です。おかげさまですこぶる元気にしていまして、先日ようやく私も3ヶ月ほど遅れて1000日チャレンジゴールしましたので、ご報告します。

みんなの1000日チャレンジのスタートは2019/7/13くらいだったと思うのですが、私も、とりあえずその日に、このnoteに日々の細かい目標設定の達成具合と日記のようなものを綴るところからはじめました。で、3ヶ月ほど経ったところで、ある資格試験受験を決意し、そこからは、実は毎日が受験勉強という生活でした。

世に言うところの、結構な難関試験で、なかなか難しい取り組みとなりました。そもそも、試験時間一日5時間というのに耐える精神力体力、それに備えて、勉強時間一日10時間…みたいなストイックな集中力持続力を養う必要があり、これが当時還暦前で更年期をやっと卒業か?という自分にはいちばんの課題でした。最初のうちは、途中で眠くなってしまい、何度も休みを入れるしかありませんでした。模試を受けに行っても、眠くて集中できない自分にガッカリしたりしていました。

外部環境としては、息子の結婚、孫の誕生といううれしい出来事があった3年間でした。そして、家人が勤務していた企業の定年を迎えるのと機を一にして、研究支援業をこの間に廃業し、自分で設立した一般社団法人を解散清算しました。

勉強に集中したかったのです。この手続きが目的となる試験に関係することなので、この税務も登記も自分でやってみました。

スタートして3ヶ月後の2020年の正月明けに弟の旅立ちがあり、そこからその一年半前に旅立った父のものと合わせて、やや複雑な親族事情から、遺産分割協議というものにも向き合いました。今やっと協議書の持ち回り署名押印という最終段階にいます。

そんなわけで、精神的にハッピーなこともありつつ、結構シビアな状況になることが多くありました。

当初記録していたように、毎日の運動を記録することには、体力をつけるということだけでなく、そんなゆらゆらしがちなメンタルを鍛えていくためにも、大きな意味がありました。みんなと並走できたことが励みとなって持続できたこと、心から感謝しています。(途中からは投稿することなく、自走していましたが、ずっと支えでした。多謝!)

noteへの記録は中断しましたが、4年前から続けている紙の日記は継続していました。今は、毎日ではないものの、300段の階段を登った先にある、丘の上の神社に参拝し、5時半からの体操会で体操したあと、河川敷を4〜5km走れ、公園の遊具などを利用した筋トレもメニューに加わるまでになりました。体力筋力のキープが、アンチエイジングの絶対生命線だと判断しています。

そして。

さとなおさんと同い年の私にとって、アニキサスアレルギーというところまで切迫した危機ではないものの、食べものとQOLの相関については切実な状況でした。あれこれ健康関連コミュニティや勉強会に参加するなどして、健康法をかなり研究しました。健康保険による定期健診のほか、血液による遅延型アレルギー検査、オリゴスキャンによる体内ミネラル検査、メタトロンによる波動診断法の力を借り、そのときそのときの自分の状態を客観的に把握することを怠らないようにし、毎日の暮らしのなかで、免疫力強化にもつとめてきました。

この春ようやく究極の答えかもしれない食事法(運動法やマインドセット、サプリ利用を含みます)が見つかり、念願の長時間勉強できる体力を手に入れました。やっと…です。若い頃…例えばそれが40代50代であるならば、当たり前だったもの、簡単に手にしていたものではないかと思いますが、もともと甲状腺機能低下症がありつつ多動な自分にとっては、いっそう努力の必要なスキルといえます。

それより若い30代以下であれば、なんでそんなに苦労するのか謎と感じるような脳?あるいは神経の衰えです。老眼の影響は、眼鏡なしでテキストが読めるので、さほどではないのはラッキーでしたが、自分がそういう年齢であり、加齢の影響を大きく受けていることを認める素直さに至るまでが第一段階。

そして、(誤解を恐れずにいえば、)ある意味、後天的社会的弱者に近いものだと認めることが第二段階。若さという貴重な資源を自分に取り戻すことはできないにせよ、なんとか後退していく各数値の傾きを水平に近くできはしないだろうか?という試みでした。

私たちの世代の内臓は、疲れてしまっていると思います。
なにしろ、60年も休むことなく働いてくれているのです。
やさしくしてあげるとともに、鍛えることが可能であれば、愛をもって鍛えてあげなくてはなりません。
怠惰やのんびり…は解にならない。

アレルギーを生じる腸も、脂肪を蓄えがちな血管や心臓も、代謝と大きく結びつく肝臓や腎臓も、そして、頼りにしている脳も、沈黙の臓器。。

それをいかに、スムーズに働いてくれるようにととのえてあげるのか。

それとシンクロして、いかに、穏やかなマインドでいられるようにするのか。

それって、つまり、自分を愛すること。

それがテーマだったのだ…

疲れてしまった自分をカタチづくる要素の質を強く意識して暮らすことの積み重ね。

そんなチャレンジの道のりをふりかえり、しみじみしています。


ということで、
先日、某資格試験の3回目の受験を終えてきました。

2年前の受験一回めは緊急事態の影響で試験実施が3ヶ月延期になり秋となり、昨年の受験2回めは、ちょうど一年前だったのですが、正直に言ってこの2回は、本気で若い方々と太刀打ち可能なレベルまで力がついたと思えない無謀なチャレンジ。
少しは伍して戦えるかも?と感じられたのは今回がはじめてでした。
これまでの2回はお試しだったといえます。

結果から言えば、自己採点してみると、合格証をゲットするところまでは力が足りませんでした。おそらく各要素の基準点は突破できたようなレベルですが、残念ながら、総合点で届いていないことが明白で、やっぱり悔しさがあります。。が、まあ、演習足らなかったよね、と、自分で敗因がわかっているので、今はサッパリした気持ちでいます。

今後どうするか迷いはあります。
来年の試験に向け、リスタートするのか、それともキッパリ諦めて次の道を探るのか。

来年の自分は今年の自分より上向きであるためには、引き続き若い人以上の努力が必要で、一方、自分の残された時間というものを見つめざるを得ず、逡巡があるわけですが、まあ、迷ってるくらいなら、再チャレンジの一歩を踏み出した方が悔いがないだろうと思いあらためているところ。

来年受かる保証はもちろんなくて。
でも、今年のようなギリギリ合格狙いとは違う準備はできるでしょう。
自分を信じることの実践ができるかどうか。です。
怖くないと言ったらウソになります。
若い人たちでもヘビィな試験だとわかったので。
続けていればいつかは受かるかなーという実感はなくはないけれども。
それはいつになるのか?
来年にする、と決めるしかない。


この試験という目標がなかったら、ここまで真剣に自分の身体と向き合い、日々の生活改善の努力を継続することはなかったでしょう。
だから、3年前の自分の決断に感謝しています。

諦めてしまって、病気がちな自分を憂いながら、安易な快楽に逃げることはどうしても許せなかった。
病気で亡くなった両親、弟。この人たちの分も長生きしていきたいとと思います。
だから、アレレ?という年齢なりのお間抜けやチョンボも明るく受け入れつつ、少し諦めながら、それでも大きく諦めず、進んでいきたいと思います。

その対処法は、意外と普通のことだったり、シンプルなことだとわかってしまったので。

同世代、そして、私たちに続く世代に、こんなふうなひともいるんだ、と、少しでも明るい希望を灯せる存在であれれば良いのかも?



とりとめなく、長くなりましたが、とりあえず、1000日経過したので、書いてみました。

この間の家人の協力、娘の応援、知人友人の励ましに心から感謝いたします。

これからもよろしくね!

#1000日チャレンジ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?