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気持ちに余裕があるって幸せだ

ここのところ、息子の調子がとても良い。


とは言っても
4月は初旬に入院治療をしたにも関わらず
調子が悪く
GW前まで本調子でなかったから


ほんの数週間元気、というだけなんだけど。


それでも
本人と家族は嬉しい。


学校行くのに
痛み止めを飲まなくても
一日大丈夫だったり


休みの日に
趣味の写真を撮りに
出かけることもできたり


家族みんなで
ラーメン食べに行くことも
できる


所謂
「当たり前の高校生活」が
送れていることが
すっごくすっごく嬉しい。


気になるお茶屋さん


息子が入院中で
毎日付き添いしていた頃


色々あり面会できず
隔離生活をしていた息子を
どう応援したらいいかわからなくなっていた頃


日常生活をどうやっていたか
思い出せない。


どう時間をやりくりしていたか
ご飯何作っていたか
買い物は?
仕事は?
娘とどう過ごしてた?


記憶から抜け落ちてる。


鮮明に覚えていることは
ドクターからの病状説明を
受けた時の会話の内容や


隔離生活の時に
1時間に1回以上電話をかけて
泣いている息子の声


ドクターからの
電話連絡にドキドキした気持ち。

もしかしたら
息子のことで
全部がいっぱいいっぱいで


毎日必死で
自分のことなんて後回しに
してたから


記憶の内容も
当時息子の辛かったことだけに
なっているのかもしれない。


並んで買った美味しい焼き菓子


息子が元気になってくると
気持ちに余裕ができる。


気持ちに余裕ができると
自分のことを考えられるようになる。


習い事してみようかな
誰かに会いたいな


家でのお茶タイム用に
美味しいの買おうかな


自分のやりたいことって
なんだろうな


目の前の小さなことから
将来のことまで
考え、行動できるようになる。


長期休み
どこかに行きたいな


野球観に行きたいな


なんて
息子が具合悪ければ
ちょっと先の予定すら
考えることができない。


それが今は
夏休みどこか泊まり行けたらいいなぁって


考え、家族で話すことができる。


チョコレートのアフォガード


実現するかどうかは別にして
先の楽しみを決めたり
自分のことを考える時間を持つことは


みんな当たり前にしてることで


これが当たり前だと思ったまま
一生を終えられたら
それはそれで幸せなんだと思う。


私は
当たり前のことができなかった時期が
あるからこそ


今ある当たり前が
とても幸せに感じる。


あぁ
自分のことが考えられるって
こんなに幸せなことなんだって
しみじみ感じることができる。


息子が病気になってよかった、なんて
1ミリも思えないけど


病気になったからこそ
得られたことの一つだと
思っている。

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