ドクターに褒められたのに素直に受け取れない話
息子が難病になってから
ドクターに褒められたことがある。
一度目は
大きな病院へ転院するとき
付き添ってくれた医師から救急車の中で。
二度目は
大きな病院の主治医から息子を通じて。
どちらの医師からも
「受診のタイミングはベストだった」
ということを褒めていただいた。
詳しくは書けないけど
症状が出てすぐに受診しても
この病気だと気がつけない、らしい。
何かしらの感染症じゃないか、と
片付けられてた可能性が高い。
あのタイミングで受診したから
最短で診断することができたし
治療も開始することができた。
だから
お母さん、良い判断でしたよ、って。
受診のタイミング、ベストだと思いますよ、って。
ドクターは話してくれた。
でも。
いまだに、もう1年以上経つのに
その言葉を受け取れない自分がいる。
救急車の中でドクターと話した時のこと
今でもはっきりと思い出せる。
私はちゃんと
ドクターの言葉を聞いていたはず。
息子から
「先生がお母さんのこと褒めてたよ。
受診のタイミング、ナイスだって」って
何度も聞いているのに。
もっとベストなこと
あったんじゃないか
もっとこうしていたら。
もっとああしていたら。
後悔しかない。
ドクターの言葉が
受け取れないままでいる。
病気になったことは
誰のせいでもないよ、と
息子に話してるけど
誰かのせいにして
何かのせいにして
安心したいのはきっと私だ。
だから自分にも言い聞かせるように
「誰のせいでもない」と
言葉にするのだと思う。
ドクターの言葉を
受け取れないのも
私がもっとこうしていたら
私が違う選択をしていたら
息子は病気にならず
人生を歩けたかもしれない
こう思っていた方が
楽だと心の奥底では思っているのかもしれない
少し前までは
受け取れない自分を責めて
せっかくドクターが言ってくれたのに
なぜ自分は素直じゃないんだろうって
考えてたけど
自分を責めて否定しても
何にも生まれないことがわかっているので
とりあえず
今はそうなんだ、と
受け取れない自分の存在を
自分で否定しないことにしている。
あぁ、そうだよね
だって子供が病気になったんだから
理屈ではわかっていても
心の整理ができないよね
ありのままの自分を
そのままでいいよ、って
認められるのって
自分自身しかいないから。
いつか
「あの時ドクターに褒められたんだよねーママ」
「ママすごいよねー」って
子供にどや顔できる日が来るかもしれないし
別にどや顔しなくたっていいし笑
あの時は
そうだったなぁって
スッと心の中にしまえる日が来ると思っている。
そう思えているだけで
今はいいのかな。