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61/365 シュレッダー作業に対する単価を問いかけるより、、、

今日は職場関連のことで、以前から少し思うところが、、、ということについて書いていきたいと思います。
自己紹介にも書きましたとおり、
私は離婚をして数ヶ月経過したところで、
計画相談を担当してくれているケアマネージャーにお願いをして、
市の社会福祉協議会が運営している就労支援施設に通所するようになって、
もうすぐ丸7年になろうかというところにいます。
仕事の内容としてはDmなどの封入作業や車や掃除機などに使われるある部品を作成したり、
印刷や縫製、
また別の施設ではパンやクッキーの製作販売をしたり、
野菜や花を栽培したり、清掃作業を行うところも。
その種類は多岐にわたっていますが、基本的には軽作業と呼ばれるものが主となっています。
個々の障害の状況に合わせて担当する作業も変わってくるのですが、あくまで就労支援を目的としているため、
給与面に関してはいわゆる工賃と呼ばれるものとなり、
それはそれぞれの作業単価や出勤状況などいくつかの項目に基づいて算計された金額が提示され支給されます。
つまりこの時点でお察しいただけることがあるかと思います。
当時はとにかく何か働いたほうがいいなと思い、
しかしながら視覚障害、しかも特に何か使える資格を持っているわけでもなく、
子供も小学校低学年と保育園児だったということで、どちらかいったら時間的な自由が得られやすいほうがいいかと思い、あまり深く考えずまずは動いてみようという思いからのスタートだったので、
そういう意味ではとても優しい環境の中で、もはや自由に出勤日数なども決められて、
作業そのものもそれなりにやりがいのあるものだと思っていたので、
自分としてはまずまず悪くはないのではと思いながらこれまで働いてきました。
多少問題があるとすれば、さまざまな障害特性からくるこれは互いにということになるのですが、イマイチコミニュケーションをとるにも思うように会話が進まず、思わぬところで誤解を招いたり、気持ちを収めたり、、、なんとなくもんやりとした人間関係?
そこに関しても年数を重ねていく中で、ああそういうものかと自分の中で落とし所を見つけることができるようにもなっていましたし、
何より作業そのものは手順さえわかればわりと淡々とできるものが多く、そのリズム感が嫌いではなかったので、おおむね受け止めることはできていたのですが、
昨年の秋ごろからでしょうか?
午前中いつも行っている作業がおわると、どういうわけか頻繁にある作業を頼まれるようになったのです。
それは、シュレッター。
えっ?
いらない紙を細かく粉砕するあのシュレッター、、、
それってしょうじき職員がやれるやつではないのかな?
もちろん支持をされた作業に対しては私も断る理由はないので、やっているものの、
果たしてこれって正規の作業に当たるのだろうか。
実は一度そのことについて、作業担当の職員に対しても要望を出したことがありました。
しかしその答えはというと、、、
確かにシュレッター作業が正規の作業に当たるかといえばそうではなく、他に何かできることを用意したいところではあるものの、
今受けている作業の多くが視覚がどうしても必要なもので、なので振り分けることが難しいということ。
ああ、やっぱりねぇ、、、
結局そこか。
そういえば、以前担当のケアマネさんからもそんなことを聞いたことがありました。
最近は内勤で軽作業を行うより、外に出向いて、清掃作業をしたり、農作業をしたりというほうが依頼されるニーズが高いそうで、
より視覚を使うことが求められているんだと。
それでも少しずつ視覚障害に特化した就労施設もできてはいるものの、
まだまだ少ないのが現状のようです。
そういう状況であることは自分の肌感でも十分わかってもいましたし、
ましてここ数年、コロナの影響などもあり、請け負う仕事の種類そのものが減少しており、
私どころか他の利用者さんにも振り分けるにも苦戦しているんだなぁというのもかんじてもいたので、あまりそう強くは言わないほうがいいかなとも思っていたのですが、
それから数ヶ月、
結局状況は改善されず、ここしばらく午前の仕事→シュレッターという日々が続いているのです。
もちろんやればそれなりの単価はつくことはわかっているのですが、
極端なことを言ってしまえば、いわゆる窓際的なあれ?な状態になっているんだろうなとも感じていて、
正直自分の就労価値というのをどこで見出したら良いのか、少々迷走していたり。
子供も中学生2人となり、実際問題必要になるものがさらに必要となっているという状況も含めて考えても、
なんとも今の状態は中途半端。
何も考えないで行動するならあっ、もう明日から行かなくてもいいですよね?
という気持ちにさえなります。
でもそれで良いわけではありません。
今はシュレッターをかけながら、この先自分がどんなステップを踏んでいったらいいのだろうか。
こんなことやってみたいな、こうなりたいな?
特に何も考えず、ただただ手を動かしながら、
あれこれ思いを巡らせていると、それはまさに未来への投資、実はものすごくプライスレスな一瞬なのかもと思えたら?
きっとそれがどんどん煮詰まってくれば、、、
あとは、、、
動くのみ。
いよいよそういう時が間近に迫っているのかなと。
そんな気がしています。
ものは考えよう、、、というのか、はたまた自分への慰めとでもいうのか、いまいち測りかねるところですが、
間違いなく何か大きくギアチェンジを求められていることは確かなようです。
長々と書いてしまいました。
本日もここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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