ほんとうに食べたい夜食とは? 映画『食べる女』に答えがあった。【KUKUMU】
夜食。この言葉を聞くと思わず苦笑いしてしまう。おろかしい、でもちょっと懐かしくもある、むかしむかしの暮らしを思い出すからだ。
夜食を頻繁に食べていたのは、今から10年も前のこと。私は20代後半で、仕事にありったけのエネルギーを注いでいた。22時まで汗水をたらして仕事して、ほうほうのていでオフィスを飛び出す。その足で居酒屋に向かい、流し込むビールの味は最高だった。
夜食を食べるのは、決まって酔っぱらって帰宅したあと。お酒を飲むときは食べ物をあまり口にしないからお腹はぺこぺこ。飢えた私が手に取るのはインスタントラーメンだ。メーカーやスープの味、麺の太さにこだわりはない。ただ、しょっぱくて量があればそれで充分。
買いだめしておいたカップ麺を開封し、乱暴に湯を注ぐ。泥酔した私は「熱湯3分」すら待てない。
「あぁ、はやく食べたい!」
フライング気味でまだまだカタい麺をゾゾゾゾゾっとかきこむ。
「おー、うまいうまい」
ドーパミンよ、思う存分脳内を駆けめぐるがよい。刹那の快感に身をゆだねたのち、げふっとゲップをひとつ。メイクも落とさず、そのまま倒れ込んで惰眠をむさぼった。
翌朝。二日酔いの頭をもたげて、台所に残った空きカップを一瞥。そして戦慄する。
「ラーメンなんて食べたっけ……?」
昨日のラーメンの味は全く覚えていない。もしやと思い、まぶたに軽く指をあててみる。瞬きをすると、マスカラで厚ぼったいままのまつ毛が指先をはたいた。
「あぁぁぁぁぁ! またやっちゃったよー!」
己の下品さと自堕落さに呆然となり、気分を暗くして朝を迎えたこと、数知れずである。
しかししかし。情けない生活を送っていた私も、今では一児の母。結婚、出産、退職というライフイベントは、私の生活スタイルをぐるんと反転させた。
朝6時に起きたが最後、22時まで家族のために疾走する日々。掃除に洗濯、買い出し、料理。子どもが床にこぼしたジュースを拭きながら、明日の弁当の設計図と工程表を脳内で思い描き、夫が帰ってくる時間に合わせて味噌汁を温めているうちに夜は更けていく。刺激には乏しいけれど、それなりに充実した生活だ。
そんな、夜食とは縁遠い今、ふと思うことがある。
「今の私が夜食を食べるとしたら、なにを食べるだろう」
己の欲求も、生活の秩序もコントロールできなかった20代。そこからちょっとは成長した実感がある今だからこそ、ちゃんと夜食を楽しめるんじゃないだろうか。「翌朝には忘却してしまうインスタントラーメン」とは違う夜食を、私は探しはじめた。
『食べる女』に学ぶ、よりよく食べて生きるコツ
ぐるぐると考えを巡らせていたときに、偶然に出会った映画がある。『食べる女』(2018年公開)だ。この映画には「食べたい夜食」のヒントがいっぱいあった。
出典:YouTube 映画『食べる女』本予告
原作は、筒井ともみの同名短編集。扱うテーマは「食」と「性」だ。登場する8人の女性たちは年齢も職業も価値観もみなバラバラ。そして「食」に関わるスタイルもまた様々だ。自分で作って食べる人。作ってもらって食べる人。作って食べさせる人。まさに十人十色な彼女たちだけれど、共通点もある。孤独を抱えながら懸命に生きていること。そして、食事を介して生まれる親密な交流をきっかけに、新しい一歩を踏み出していくことだ。
どんな生き方も否定しない大らかな雰囲気が、この映画全体を包んでいる。食べるものも、恋愛も、自分がいいと思うものを選んでいけばいい。そうしたらきっと明日が輝くよ、とやさしく語りかけてくれるよう。
豪華な俳優陣の魅力もさることながら、おいしい料理の数々も見どころのひとつだ。物語の序盤、小泉今日子演じる主人公「トン子」と、鈴木京香演じるトン子の親友「美冬」がつくる料理は特に良い。
トマトと卵と白きくらげの炒め物、菜の花の昆布〆め、鯵のサワークリーム和え、手羽先の岩塩焼きに、春雨と牛ひきの中華風煮込み……。
二人が阿吽の呼吸で手早く用意していく品々は、いわゆる「映える」料理ではなく、ほんとうの「おいしい」がにじむ料理。
これらの料理には、自分にとっての心地よさを熟知して自足する、彼女たちの豊かな暮らしぶりが反映されている。それがとーっても清々しくて格好いい。
彼女たちを見ていると思うのだ。かつての夜食に足りていなかったのは「自分にとっての心地よさ」を探求する気持ちだったのだな、と。
インスタントラーメンが悪いわけでは、もちろんない。惰性的で工夫のない乱暴な心持ちが、私の気分を暗くしていたのだろう。
「おいしいって言葉の意味、私、分かっていませんでした。それってきっと自分の心と体が何を求めているか、ちゃんと感じることじゃないかな」
登場人物のひとり「マチ」(シャーロット・ケイト・フォックス)のセリフだ。
料理が苦手で冷凍食品ばかり食べていたマチは、夫に愛想を尽かされ浮気されてしまう。「食べること」においても「人間関係」においても自分を大事にする方法がわからず、寂しい思いを抱えていた彼女。
そんな彼女が美冬の指導のもと料理の基礎を身に付けて、はじめて夫に手料理をふるまう。
茹でたブロッコリーに、けずりたてのかつお節をパラパラ。そこに醤油をひとたらし。ものすごくシンプルな料理だけど、ブロッコリーの緑が照り輝いていて、甘みを含んだ青々しい香りが画面越しに伝わってくる。
夢中で食べきった夫に向けて、ふとこぼすのが先ほどの言葉だ。自信を身に付けた女性が放つ美しさがそこにあった。
彼女の言うとおり、心と体の声に耳をすまして、少しでも自分に手をかけてあげることが、よりよく食べて生きるコツなのだろう。
たとえ「夜食」であっても、「自分にとっての心地よさ」、つまり「心と体が求める何かを追求する」そのひと手間を惜しんではならないのだ。
ちゃんとおいしい夜食を食べよう!
私にとっての心地よい夜食はなにか。自分の心と体に耳をすましながら、『食べる女』をヒントにして作ってみた。蒸し卵入りすまし汁だ。
このゴハン、『食べる女』のワンシーンに登場する。
トン子が営む古書店「モチの家」を訪れた年配の男性客。古びた日本家屋を書店に仕立てなおした店内には、食に関する古書がズラリ。数ある本のなかで彼が手にしていたものは、森茉莉の著書『私の美の世界』だった。
男性から本を手渡され、会計を依頼されたトン子は思わず話しかける。
「この本、おいしいんですよねぇ。この本の中に出てくるメニュー、ほとんど作ってみたんですけど、みーんなおいしいんです。特に私のお気に入りは、具のない茶碗蒸しをすくっておすましに入れる蒸し卵入りすまし汁と、ロシアサラダ」
小泉今日子演じるトン子が、おいしそ~うにやさし~く語るものだからたまらない。ロシアサラダも気になるけれど、蒸し卵入りすまし汁のインパクトは大きかった。すまし汁に茶碗蒸しを浮かべる料理を、私は知らなかったから。なんだか謎めいていて品もある。それに、食エッセイの名手・森茉莉が推すメニューなんだから美味しいに決まっている!
体にじんわり染みわたるお出汁の香りを想像する。そしてやわらかな蒸し卵の舌触りも。あぁ、これなら寝る前の体にもきっとやさしい。心も満ち足りるはず。
ラフさが夜食にちょうどいい! 蒸し卵入りすまし汁
『私の美の世界』掲載のレシピ、そして永谷園のアレンジレシピを参考に、15分以内で出来あがるラフな手順で作ってみた。
もうこれ、ほんとうに簡単だし、すっごくおいしいんで是非作ってみてほしい。「永谷園の松茸の味お吸いもの」がめちゃくちゃいい仕事するんですよ。お椀からふんわり立ちのぼる湯気は松茸の香り。じゅわわわわわ~と卵から染みでるお出汁の旨味を、そうめんと一緒にズズズっと吸い込む。おなかが温まって、しあわせな気持ちになる。すべて平らげてほっと一息ついたとき、過去の夜食では得られなかった充足感があった。
夜食を食べるシーンは、昔のように深酒したあととは限らない。勉強や仕事で、もうひとふんばりしなければならないとき。不安や悩みを抱えて寝られないとき。そんなときにこそ、心と体が求める夜食を食べたいと思う。
いちから料理する余裕がなければ、お気に入りのお箸やお椀を用意して、卵かけごはんを味わうのでもきっといい。自分にとっての心地の良さを知って、自足しようとする心持ちが、明日の自分を元気づけるのだ。
『食べる女』の劇中に登場するトン子のセリフを、20代の私に届けたい。
「健やかなる時も、病める時も、満ち足りた時も、淋しい時も、ちゃんと、おいしいごはんを食べよう。心も体も、きっと元気になるから」
さあ、今日もちゃんとおいしいごはんを食べよう! そしてちゃーんと生きるのだ!
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