ハッピーごはんの現在地 #KUKUMU
20代。かつて独身だった頃。私にとっての「ごほうびメシ」は、どこぞのレストランバーで飲む香りのよいクラフトビール。キリっと冷えた辛口の白ワイン。おいしいお酒にマッチする小洒落た前菜。スペインの生ハム ハモン・セラーノ、白カビチーズのブリア・サヴァラン、枝付きレーズン。それに豚レバーペースト……。
横文字ばかりの、正体がイマイチ判然としない食べものが好きだった。ちょっと背伸びが必要な雰囲気や、見知らぬハイソな世界観に特別惹かれた。
今から思うと、20代の私にとってのごほうびとは「成長の実感」だったのだろう。親の庇護から自立して、一生懸命稼ぐ。自力で得たお金で、もしかしたら両親も知らないような魅力的な食べものや上質なサービスを楽しむ。「ああ、私、大人になったなあ」。そんな感慨にひたる時間がなによりの報酬だった。
それから時は流れて、私も今やアラフォー。5歳のムスメを育てる親の身となった。年を重ね、役割が変わり、自然と自分にとっての「ごほうび」のあり方にも変化が起きている。
2023年現在の私のごほうびメシ。それは……。
「マクドナルドのハッピーセット」である。 なかでも「チキンマックナゲット ハッピーセット(¥520)」を推していることを言い添えたい。かつてのごほうびと同じくカタカナばかりのメニューだけれど方向性がまったく違う。なにしろ価格については比べるまでもない。すごくすごーく、リーズナブルなごほうびメシだ。
たとえば原稿の締切日。締切には間に合いそうだけど、夕飯を準備する気力体力は枯渇気味。そんな日は「ハッピーセット」に限る! そうと決まれば、私の「ごほうびメシ」は朝からはじまるのだ。
「ねえ、今日の夜ごはん、マクドナルドにしよっか」
朝食の納豆ごはんをかきこむムスメに魔法の呪文をかける。すると彼女の頬が一気にあかく上気する。つづけて満面の笑みが浮かんで、こう叫ぶ。
「わーい! やったー!!」
息つく間もなく、熱のこもった質問の嵐が巻き起こる。
「ハッピーセット食べていいの?」
「いいよ」
「今日はとくべつな日なの?」
「そう。ママのお仕事がひと段落する日だから」
「サイコウだね!!」
突然のハッピー到来に興奮したムスメは、いてもたってもいられない。
「ねえねえ、ママ、きょうはいつもより早く保育園にいこうよ」
「ん? どうして?」
「だって、先生たちに『今日はハッピーセット食べるんだ』っておしえてあげたいから!」
「ええ~……」
ムスメの無邪気な一言にひるんでしまう私。その心境の奥底には、夕食をファストフードで済ませることに対する、若干の後ろめたさが横たわっていると気付く。いやいや、ハッピーセットは私の大切なごほうびメシじゃないか。胸を張るのだ! 私は気を取り直してムスメに言う。
「よし! さっそく行こう。準備して!」
我々は意気揚々と玄関を出た。
***
原稿の納品を終えた夕方。スッキリした気持ちでムスメを保育園へ迎えにいくと、先生がニコニコと出迎えてくれた。
「ムスメちゃん、『今日はマクドナルドなんだー』って、とってもうれしそうでしたよ」
先生の声を聞いたムスメは言う。
「先生もねえ、ハッピーセットが大好きだって言ってたよ! どんなオモチャをもらったのか、明日先生におしえてあげるんだー!」
先生の深い愛のおかげで、ムスメのハッピーメーターは高止まりしている様子だった。
その後、仕事を終えた夫と待ち合わせして3人でマクドナルドへ。道中もムスメの鼻歌やスキップは止まらない。ひとりごとも鳴りやまない。
「今日のオモチャってなんだろう。すみっコぐらしがあったらいいな~」
「ナゲットのソースは、きいろのやつがいい」
「ジュースはオレンジね!」
さあ、マクドナルドに到着だ! ムスメは、「チキンマックナゲット ハッピーセット(¥520)」に「ハンバーガー(¥190)」を追加してごまんえつ。夫は定番の「ビッグマックセット(¥840)」。わたしはというと「マックフライポテト Lサイズ(¥340)」に「プレミアムローストアイスコーヒー Lサイズ(¥210)」。
各々好きなメニューを手元において、アイスコーヒーとオレンジジュースで乾杯する。そして今日起こったささいな出来事を報告しあう。保育園でおしえてもらった歌をすごく気に入ったこと。昼食に食べた焼き魚定食の漬物がおいしかったこと。ようやく書き終えた原稿に少し手ごたえを感じられたこと……。
たわいもない話をつまみに、ポテトを求める手が加速する。ムスメはナゲット用のマスタードソースをポテトにたっぷりつけて食べるのに夢中だ。私は口いっぱいになったしょっぱい芋を、ほろ苦いコーヒーでゴクゴクと流し込む。うーん。マックのポテトとコーヒーって、なんでこんなにおいしいんだろう。
私が舌鼓を打ったタイミングとほぼ同時。ムスメのはずんだ声がイートイン席に響いた。
「ほーんと、おいしいねぇ!」
ああ、コレコレ。コレなんだよなあ。
このなんでもないような瞬間こそが、今の私にとっての「ハッピー」であり「ごほうびメシ」なのだ。
自分にとって大切な人が心からよろこんでいる姿は、ほんとうに貴重で、なによりも価値がある。ムスメのはじけるように笑う声。ハッピーを噛みしめる表情。一瞬一瞬を私はけっして見落とさない。シャッターチャンスをねらうカメラマンのごとく、じっと観察する。ムスメが「サイコウ」を味わっているシーンをひとつ収集するごとに、私の心はほぐれる。あたたまる。活力がわいてくる。
夕食を終えて、3人で家に向かう帰り道。
「今日はすてきな一日だったね。ママはどんな一日だった?」
ムスメの質問に、「ママも、とってもイイ一日だったよ」と私は答える。そして、つないだちいさな手をギュっとにぎる。
ムスメがハッピーセットにしあわせを感じる時間は、そう長くは続かないかもしれない。私にとっての「ごほうびメシ」は、これからも年齢を重ねるごとに、人生のステージが変わるたびに、都度変化していくだろう。けれど、だからこそ、この時間を大切に、忘れないようにしたい。
ふと夜空に目をやると、細くとがった三日月が輝いていた。一日足りとも同じ姿をとどめることなく変化する月。家族で同じ月を見上げながら、「キレイだねぇ」と言いあった。
写真・文:森川紗名
編集:栗田真希