育つのに最悪の環境の話:親編
最近定着してきた「毒親」という言葉。一般的には母親を指す言葉なのではないか。
その言葉を冠する読み物では女親がひどいからだ。うちも多少は母親がひどい。だがそれ以上に父親がひどい。
そんな私の体験を、やや箇条書きのように書き出してみよう、と思い立ったのだ。
これを読んで「うちの方がひでぇや」と心を軽くするもよし、「うちの方がまだましだ」と安心するもよし、好きに使って下さい。
ただ、これは、気持ちが落ちかけて「あぁ、消えたいなー」と思っている時に「こんだけ酷い事があったんだと世間様に思われれば、うっかり消えてしまっても許されるかな」という下心の元に出来るだけ客観的に書こうとは思っておりますが、個人的な愚痴なんかも多分に含まれております。
そういうのが苦手な方はバックして忘れてください。
軽いところから母親編。
〇就学前の子供の落書きにひらがなに見える部分を見つけて書かせようとする
まずは母親に関する最古の記憶です。子供って、画用紙にクレヨンでぐるぐるしたものを書くじゃないですか。あれの中にひらがなの「め」を見つけた母。
「これはひらがなのめ!こう書くのよ!」
母の真似をして書くも、書きあがるのはいびつな形ばかり。そして、訳も分からずキレられる。
〇逆らった子供を髪の毛つかんでぼっこぼこにする
先ほどの記憶より古いのか、そうでもないのか、今になっては思い出せない。
これは私も悪いのだけど、何かをしなさいと言われた。お手伝いだったのか、なんだったのかも思い出せない。したくない、と思って無視を決め込んだ。
「聞こえないのか!」
髪の毛を掴まれて平手打ち。怖くなって口をつぐんでいると、もう一撃。あの時一回死んだのかもしれない。なぜって、幽体離脱のように私の体を殴る蹴るする母親の背中から私は私を見ていたので。
〇習い事をしたいと言えば「どうせ飽きるんだからまず独学でね」
口癖のように「独学で」と言われていた。高校入学と同時に部活(楽器)を初めて気づく。
「誰かが教えてくれた方が覚えるわ」
〇人が嫌がることをしてはいけませんは建前
ある日母親が捕まったんですよ。詳しく書くとどっからか特定されそうなのであえてぼかしますが、好きでやってた職種の仕事先に脅迫状。
裁判で余罪があることがわかって、私に言い含めていた言葉。
「人が嫌がることはしてはだめよ」
それは自分を良く見せるためのアクセサリーだったのだ、と思った。まぁ、深く考えて生きることをしないで生きているのかもしれないが。
それ以降母親は精神科に通いつつ、前職と同じ職種で勤めている。反省の色が見えないと思うのは私だけだろうか。
ここまで書いて辟易している方もいるのではないだろうか。私もそうだ。だが、母親は父親と離婚して以降自分に脛をかじらせてくれている。なので、まだマシだと思っているのだが、共依存なのは自覚している。
巣立ちの目途が立ったのもあって書き出している。母親がこれから不祥事を起こしたとしても、何があったとしても、すべて一人っ子の私にかぶってくる。
なので定期的にこれを読んで、甘い顔せず全力で逃げていこう、と気持ちを固くする。
これから本番父親編
父親に関しては基本スペックを書いておかないと伝わらないと思う。
私が小学校のときに痛風になり、無職になりがちになる。父方祖母が肺がんになったのを機に完全にニートに変貌する。母親の15歳年上。
〇子供を嘘つき呼ばわり
何かにつけて私の事を嘘つき呼ばわりする。
「お前は嘘つきだから」
話しかけるとこう返ってくる。一事が万事この調子だ。未就学の頃からだったと思う。
〇子供にブスと言う
目に何か入っていたり、諸事情で鏡をのぞき込んでいると決まって言われる言葉。
「ブスは鏡見てもブスだぞ」
「ブスが色気づきやがって」
〇軽装備で登山させる
小学校低学年の頃だったと思う。ご近所の山の開山祭、ピンバッヂをもらえるのでそれを目当てに開山祭に行き、振る舞い酒を飲んだ父親。このまま運転して帰る気満々。それはそれで相当クズだし、行こう父親の飲酒運転に同乗するも逆らえないシチュエーションは多々あるので割愛する。
「ピンバッヂ貰ったんだから、登らないと」
結構薄着の春の山。靴もしっかりしたものではない。そんな装備で山登りさせられる。足が痛い、と立ち止まれば、先行している父が上から子供のこぶし大の石を投げてくる。
結構な地獄だった。結局登頂はせずに来た道を引き返して帰った。
〇片づける時は何もかも破壊されるとき
部屋を片付けろ、言われて、渋々やっていると、私の部屋のものをすべて階段から放り投げる。
「いらねぇもん捨てろ」
シラフでコレである。
CDケースは割られ、マンガ本は真っ二つに割かれて降ってくることも。
せっかく作ったプラモデルも捨てざるを得ない。
〇生理をからかわれる
こんな風に生きてきても女になるもので、小学校高学年で生理が来た。
この間にも育ってきた乳やら尻やらを揉まれ触られしているのだが、諸事情によりそれが変だと思わないくらいにはなっていた。
トイレで処置をしている時に見られて、カレンダーに赤いマジックで丸を書かれる。
「おしめばあ」
と言うあだ名で呼ばれる。ナプキンをおしめと呼ぶな戦後生まれ。しかも、私より38も年上でそれか。
〇修学旅行のお土産が気に入らないので子供を殴る
これはそのまま。何が名物とかも教えられずに東京へ。
東京タワーのキーホルダーを買って帰ったし、雷おこしは体験で作ったものがあるので、それをそのまま差し出したら、雷おこしを割りながら怒られ、ついでに殴られた。
〇子供の進路を選ぶ。逆らうと殴ろうとする
高校受験の時期、工業高校を目指すことになっていたのだが、頭が足りないと、教師から連絡。
これ幸いと、私は地元の私立で、美術科のある高校の名前を電話口で出した。父の目の色が変わって、怒鳴られ、掴まれそうになる。
そのまま裸足で外に逃げ出した。外は雪が積もりまくっていたので足の裏も痛くなかったのでそのまましばらく家出していた。
〇受験のお守りを見つけて取り上げる
かねてから、女は勉強せずに高卒で適当に就職して結婚しろ、女に学は必要ないと言う父親。
高校受験で親戚に買ってもらったお守りを筆入れに入れていたのが見つかり、歌うように
「苦しい時の神頼み、苦しい時の神頼み」
とはやし立てながら、お守りを取り上げる。
ほんと死んでくれ。そう言えるくらい強くなるのは十数年後の話。
〇リストカットを見つけて地の果てまで追いかける
ストレス解消にしていたリストカットをある日父親に見られる。
「見せろ」
「いやだ」
押し問答の末、その場から逃げだした。そして見つかるまで逃げていたのだが、その後、風呂に入っていたら、入ってきて、見せろという。
「みっともないからやめろ」
観念して見せたらそれか。
目立たないところにアロマ線香で根性焼きするようになったきっかけの一つ。
〇精神を病んだ娘にかけた言葉
まぁ、上記のようなことも耐えきれないような軟弱物で、精神科に通うようになり、お薬漬けの私にかける言葉。
「なりきり病」
愉快ですね。
その当時解離性健忘とかいろいろ症状に悩んでた私もいまだに思います。なりきり病かもしれない。
しかも、精神科に連れてってくれるやさしさ、待ち時間が長いので、診察室に乗り込んで怒鳴り散らす気の短さ。
見習いたくないのに、ちょっと気が短い私がいます。
〇オーバードーズで起きない子供を自然回復
オーバードーズして死のうとして、数日後、目を覚ますと、自室の布団の上。ほんとそのままだった。
まぁ、私が悪いんですけどね。死んだら、そのまま畑の肥料にされてたんだろうな。
〇雑貨屋で殴られる
欲しいものを母親に買ってもらえないはらいせだったと思う。自分で働いて稼げばいいのに。
とまぁ、ここまで書いてきて、ほかにもあるような気はするのだが、あとはあまり覚えていない。
まぁ、もっとひどいおうちもあると思うので、私の人生はまだ軽いほう、と開き直って生きようかな、と思いつつ、忘れられない。
私の心の奥底に、こびりついて油汚れよりも落ちない、厄介な記憶となっております。