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よくあの戦争を、あの震災を、あの事件を
忘れてはならない」とよく人は言う。

私は正直これらのことについて皆が考える必要はない
と思っているという話をしようと思う。

私はなんやかんやあって悩んで一時は
「生きてても仕方ないな。」
と思っていた時期があった。

その時期に考えていた事は
どうやったら事故に見せかけ自〇することが出来るだろうか。
とか
戦前の特攻隊のような、自分が死する大義名分が欲しい。
とか
ある層から中二病だとか邪気眼だとか笑われそうな事ばかり。
ガンガルの黒歴史コードのオンパレードや!

でもその一方で
面白いゲームがあったらハマってやってたし
アニメや漫画とかも楽しんでいたし
辞書や事典もあてもなく引いたりしていた。

社会人になってからはカメラも始めて
一日中撮り歩いたりもしたこともあった。

「サナギケージって熱中してる時って何回呼んでも気づかないよね。」

と学生時代はよく言われたりもしたものだ。

ハマり込んだらその事ばかり考えてしまうし、
そうでない空白の時間は前述の「黒歴史コード」について
考えていた。

今振り返ると本当に思考が渋滞していたように思える。

いや、いまもあんまり変わらないかも…。


こうやって振り返ってみると
世の中には私のように特定の事について
多くの時間をかけて考えてしまう層って
一定数いるのではないか?

いや、本当は皆(多少雑念が生じたりはするものの)
自分が生きる上で大切な最低限の情報を
得ること
と、それが出来たらあとは
自分が興味関心があることを
深掘りすること
しかしていないのではなかろうか。


だったら、

あの戦争やあの震災やあの事件について
考える絶好の機会
それらに対する熱意が備わっている人が
深く考察していきそれを発信していく方が
世の中全体でみたとき効率が良いのでは?と思う。

その考察をみたそこそこ「余裕のある」人がそれに賛同したり共感したり
時には批判的な立場でみて考える位が良いのではないかなと。

そんなこと考える余裕ない層に
「忘れてはならない」といっても仕方ないのではと思う。

余裕がないなら今は放っておいても良いが
機会があったら考えてみて

くらいが良い落としどころではないかなと思う。


自分で撮った写真です



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