「下午のまち銭湯」 第十二湯~神保町【梅の湯】
銭湯は昼下がりにいくに限る
思い出の神保町
神保町。今日は昼銭湯のためにこの街に来た。
ぼくにとってこの街はちょっと特別な思い入れがある。学生時代を過ごした思い出の街。御茶ノ水駅を降りて楽器屋街を巡り、交差点を右折古書通りを回って後楽園の方へ抜けていく。御茶ノ水→神保町→水道橋。
典型的な不真面目学生だったぼくは講義にもろくに出ないで毎日朝から晩まで飽きもせずにこの「黄金コース」を巡回していた。この神保町は僕という人間の核を作るうえで非常に大きな役割を果たした場所。
文学、音楽、映画。好きな娯楽の情報は全部この場所で手に入れた。食事や酒の味もここで覚えた。あの時のぼくの文化のすべては神保町だった。
この街の吸引力はとてつもなかった。学校はなんとか卒業できたけどこの街からはついぞ卒業できなかった。今も頻回にこの街に来てしまっている。街の呪縛から逃れられない。ここに来るとあの頃に戻れる。
変わっていく神保町
来るたびにこう思う。「あぁ懐かしいな 何も変わってないな」って。
でも違う。本当はわかっている。あの時からはこの街も随分と変わった。学生街であり、ビジネス街でもあるという本質的なところは変わってない。街の機能は同じ。でも中身はリニューアルしている。来るたびに新しい店ができている。ここにこんな店あったっけなぁ。そんなことをいつも思う。
一方でぼくのあの頃は確実に消えていく。行きつけだったカレー屋はもうない。ジャニスで音楽をレンタルすることもできなくなってしまった。酔の助で酔っぱらうこともできないし、いもやで競馬中継をおかずに揚げ物を頬張ることもできない。
来るたびに神保町がぼくに言ってくる気がする。
「いつまで学生気分でいるんだい?もうここはお前の街じゃない。いい加減大人になれよ」
悲しくなってくる。でも受け入れられない。自分に言い聞かせる。
まだいける。自分はまだあの時のままだ。
靖国通りを九段下方面に歩いて交差点を入った小道に梅の湯がある。
この銭湯はぼくの学生時代にもあった。ずっとここに変わらず。こんなところに銭湯があるなんて知らなかった。気にも留めなかった。当時のぼくは銭湯なんかには関心がなかったから。でも今はこの湯に入る目的で神保町に来た。ぼくはあのころとは違う。ぼくは変わったんだ。
梅の湯
オフィスビルの一角に隠れるようにして収納されている感じがいかにも都会の銭湯という気がする。目立たぬように目立たぬように。奥ゆかしい。
中に入る。木札鍵の下駄箱に靴を入れ、フロント番台で入浴料を払う。番台の奥にちょっとしたスペースがあってカウンター席のようなものが設置してある。
脱衣場は非常にコンパクトなサイズ。昔ながらのロッカーだけれども清潔感があって気分はいい。床タイルもしっかり光沢があって品がある。
かららら~
引き戸を開けて浴場入場。中はかなりコンパクト。縦長で普通の銭湯の半分くらいの大きさ。だけど天井はこういったビル中つくりの銭湯にしては高い。女湯とも中壁越しにスペースを共有していることもあって閉塞感のようなものは意外と感じない。
桶はケロリン。この広さなのでカランは15個とやっぱり少なめなのはしょうがない。サウナや水風呂なんてないし、浴槽も複合のものが一つだけ。
備え付けのボディソープでさっと体を洗い湯船につかる。
浴槽は左半分が広く手前縁の部分が湾曲していて右側が狭くなっている。左側壁にハイパージェットバス、ボデージェット、電気風呂がまとめて設置してある。
しゃぽん・・・左足を入れる。
湯の温度は熱め。
白湯にじっくり浸かる。開店直後に来たけどぼく以外誰もいないことに気づく。一番風呂・・・一人で銭湯貸し切り状態。なかなかない幸運。これだから昼下がりの銭湯はやめられない。
なんだかすごく湯面が波打っている気がする。流れもすごくある。見てみると壁側に設されているハイパージェットの強烈な湯流が湾曲した縁を滑り狭くなっているこちらのスペースへ勢いよく流れ込んでいる。
流れ込んだ湯流は反対側の壁にぶつかり向きを変え流れ込む湯と衝突して大きな波になっている。ぐらりぐらり。波打つ。ああこれは・・・
海・・・今ぼくは大海原に浸かっている
ザブーン。目を閉じると潮の香りが漂ってくる。
よしこの波の源流に行こう。ハイパージェット。見るからに強烈そう。体を沈めてみる。ごぼぼぼぼ
ぼくの背骨を縦列のジェットが殴りかかっている。潮の流れをぼくの体で堰き止める。あれだけ波打っていた海面がピタッと静かになった。
こんどは隣のボデージェットに行く。ちなみにこれ「ボディジェット」ではなく「ボデージェット」である。パネルにそう書いてある。最初は小さな「ィ」のインクが経年劣化で消えただけかなと思ったんだけど、近くで見ると字の部分が少し窪んでいる作りになっていてインクが消えてもあとは残る仕様なのだ。「デ」と「ー」の間に「ィ」が書かれていた形跡がない。
最初から「ボデージェット」でパネル発注しているのだ。業者のミスなのか梅の湯の強い意志なのか・・・何やらこだわりを感じる。
四方から浴びせられるジェットが体を吸い込んでいる。大渦発生。大しけだ。気を抜くと遭難してしまう。
そのまま電気風呂に移行。ビリリリ!
クラゲだ。神保町の海でとんでもないクラゲに刺されたぞ!
もう一度最後に白湯スペースでじっくり海を感じる。ここは千代田区梅の湯湾。あぁ、まさかこの街で季節外れ海水浴ができるなんて。ぼくの気づかなかった神保町。
などど悦に浸っていると、かららら~と戸を開く音がして殿方が一人入場。梅の湯独占時間終了。さてそろそろ出ようか。
服を着て暖簾をくぐり外へ出る。見慣れた思い出の神保町の景色がなんだか変わって見える。実に良い銭湯だった。
また来よう。銭湯のために神保町へ。
今のぼくとしてまだこの街に来なければいけない理由がある。
こうやってこれからもずっとこの街に来る理由を探し続ける。
やめられない神保町。
銭湯の詳細
『梅の湯』[所在地]千代田区神田神保町[最寄り駅] 都営新宿線、都営三田線、東京メトロ半蔵門線「神保町」駅下車、徒歩3分[営業時間] 15:00~22:00[定休日]日曜日[入浴料]480円[ドライヤー]20円
※備え付けシャンプー、ボディソープあります
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