わたしの原動力
こんにちは。さなぎです。
息子が中学生に入り、環境が変わり、めっきり息子のつながりで仲良くしていたお母さんと連絡を取らなくなりました。
連絡をとっているのは…1人かな。
もともとママ友は少なかったタイプです。
そして不思議なことに、環境が変わったことで古くからのお友達とお茶をする機会がグンと増えました。
そこで決まって聞かれること。
「ねぇ、どうしてそこまで頑張れるの?」
わたし自身は目の前にあることに全力で向き合っていた結果、こんな感じに出来上がったのですが、周りからしたら躊躇なく仕事や環境を変える勇気にびっくりしたそう。
今回は“わたしの原動力”のお話をしていきます。
少々長いですが、ぜひ最後までお付き合いください。
家族構成と特徴
サラッと家族構成と特徴を挙げていきます。
途中母親が家出をしたため話が前後するかもしれませんが、基本の家族構成となりますので覚えておいてください(サラッと暗いこと言うー)。
家族の特徴もまとめておきます。
ここ、重要ですよ(笑)
悪口ではございません😂
特徴ですよ、特徴(笑)
ポイントは『父が婿養子』であること。
そして『母と実の親である祖父母の仲が悪かった』こと。
こちらとっても重要です🧑🏫
そうです。
“折り合いが悪かったのに、一つ屋根の下で住んでいた“ことこそがのちにバラバラになる原点でもあるのです。
ただ一点補足させてください。
わたしは家族みんなのことが好きです。
そりゃいろいろありましたが、人間皆性格は千差万別。
当時は怒りに満ち溢れていた祖父のことも、今となっては「そうか、寂しかったんだな。」と思えます。
彼はきっと不器用だったんだなとも思います。
てなわけで家族構成と特徴は以上です。
ここから本題に入りましょう。
幼少期の記憶
実家が自営業をしていたこともあり、リビングではよく家族会議というか会社の会議が開かれていました。
リビングは私たち姉妹がトイレに行くのに必ず通る場所。
ケンカが始まると通るに通れなくなるんです。
ヒートアップしていく祖父。
なぜか泣き出す祖母。
婿で立場が弱い父。
祖父とバトルする母。
小学生のころ扉の向こうで「このくそジジイが!(小声)」とよく怒っていたなぁ。
なぜ聞いていたのかというと…
トイレに行きたかったのです笑
しかしピリついた雰囲気を切るようにトイレに行けなかったから聞いていたんです😂
いいのか悪いのか、わたしは小さい頃から理解力が高かった。
だから何で揉めていて、誰が怒られているのか分かっていました。
祖父と母。
本人は嫌がるかもしれませんが、よく似ているんです。(すでに祖父は他界しています)
頭の回転が早くて、言語力がある。
お互い言いたいことは分かるんだけれど、妥協をしない。
だから揉めるのです。
とある日こんなやりとりがありました。
ピッキーーーン。
“アイツハテキ(あいつは敵)🤖“と当時8歳のわたしはインプット。
ここまででお分かりでしょう。
家族喧嘩が多い環境で育ちました。
親の夫婦間の喧嘩は目立ったところでは見かけませんでしたが、祖父母を含めた喧嘩が多かったかな。
(といいつつ、両親はわたしが成人してから離婚しました。)
暴れるような喧嘩ではなく、じわじわ精神的にくるやつ。
悲しいのは父の立場ですよ。
彼は「今がハッピーならヨシ🤟」タイプ。
その場しのぎをして怒られる。
決断が出来なくて怒られる。
気の毒でたまりませんでした笑
そして祖母。
実は一番厄介で…泣
祖父に怒られたくない一心で、小さな嘘をつくのです。
その嘘は周り回ってこじれます。
周っている間に人を介し、人を介し、もはや話は別物状態。
手のつけようがないタイミングで家族会議。
案の定、祖父が怒ります。
以下同じ。みたいな笑"
こんな争いをわたしは幼稚園の頃から耳にしていました。
先ほどお伝えした通り、理解力が良かったのは不幸中の不幸😂
母、家出
少し時は過ぎ、わたしが高校生の頃。
祖父としょっちゅうバトルしていた母が耐えかねて家出。
実家から家出ですから、かなりの覚悟だったことでしょう。
わたしの携帯電話にはこんなメッセージが来ました。
覚えてます。あの時の衝撃。
頭から血の気のひくあの感じ。
小学生だった妹に伝えたら泣きました。
今思えばもっと考えてから伝えないといけなかったな。
心に大きな傷を負わせてしまいました。
その後2年間、母とは連絡が取れなくなりました。
久々に会った時のあの緊張感も忘れられません。
(現在は毎週のように会っています。)
高校1年生の秋からの2年間。
再会した時にはわたしは高校3年生になっていました。
実家では婿養子の父が一生懸命働いてくれました。
祖父母にぐちぐち言われながら…笑
妹はもともとコミュ力低めだったところに、“母の家出“ですから脳みそが追いつかなかったのでしょう。
中学校に上がり、学校を嫌がるようになりました。
保健室登校したり、部屋に引きこもっていたり。
制服を破ったこともあったそうです。
(当時わたしは唯一エンジョイしていた期間だったので覚えていません。)
高校3年生。進路選択の時。
本当は医療系の専門職を目指していたのですが、今わたしがそこでお金を使っていいのか。
狙っている大学は遠い。下宿していいものか。しかも6年。
下宿になったら誰が家のバランサーになるのか。
この家、事件が起きるかもしれない。
ヤメよう。
大学進学は諦めて、近くの専門学校に行こう。
そこなら地元の大きな病院の系列だからそのまま就職出来る。
家から通って、自分が家族の潤滑油としてバランスを取ればいいんだ。
今思うとなんて健気なのでしょう🥹
しかしそんなことより進路選択の幅が狭かった自分が少々可哀想ですね。
情報が少なかったんです。
母親っていろんなところから情報を運んできてくれますよね。
その母親は絶賛家出中。
人のせいにするつもりはないですけど、不運だったなとは思います。
実のところ、狙っていた大学を受けるには少々頭が足りなかったんです。
だから多分受けても受からなかったと思います笑
もしかしたら”逃げる口実”を探していたのかもしれませんね。
専門学校進学後
妹はというと、地元から離れた私立高校へ。
専門職の免許を取ることも出来て、そのまま大学進学。
正直、みんなに心配してもらえる妹がとても羨ましかったです。
わたしはいつも“お姉ちゃんはしっかりしているから大丈夫“と言われていました。
今もなおそう思われています。
全然そうじゃないんですよ。
気にしぃだし、無駄に記憶力いいから変な記憶だけは残るし。
ビビリだから受かれない試験はしれっと回避するし。
地元の専門学校に進学したわたし。
変なプライドがありました。
「大学をわざわざ諦めてこっちにきたんだ。こんなとこで負けてられん。」
勉強が好きだったし、好きな分野だからずっと勉強していました。
絶対1番。絶対1番。
もっと勉強、もっと勉強。
全国模試では上位に食い込むことができた。
さあ、もっと勉強だ。
すでにこの頃現在の夫(当時の彼)とお付き合いを始めていました。
彼と会う時も参考書を片手に。
お風呂に入る時もご飯を食べる時も参考書を片手に。
『強迫神経症』になってしまったのです。
その後、どんどん悪化し結局ドクターストップ。
退学したい旨を伝えると父はとても悲しみました。
分かる。分かるんだけどね。
分かるんだけど、限界でした。
当時父を説得してくれたのは彼(現在の夫)。
今でも感謝しています。
みんなが卒業する日、わたしは退学しました。
今、思うこと
かなり端折りましたが、まとめるとこんな感じです。
当時わたしが考えていたのがこちら。
正直、大学受験の勉強が嫌になっていました。
きっと逃げ道を探していたのでしょう。
小さい頃から何でも出来たからこそ、失敗が怖かったのです。
今では『結局逃げたんだよな〜』って思います。
当時18歳。無理ですよ。やはり子どもです。
でも当時はああするしかなかった気もしたり、しなかったり。
だから思うのです。
『自分が子育てをする時、大人が家族や環境を言い訳にして子どもの進路を狭めない。』
情報を見つけるにしろ、学費を出すにしろ、サポートするにしろ、なんにしても親は大きく影響します。
ある程度自由に動けるパートやフリーランスを選んだのも自然な流れでした。
こうしてわたしの今が出来たのです。
もちろんスムーズに全てが進んだわけではありません。
夫とたくさん話し合いました。
準備に数年かかりました。
でも間に合った。
そして今、彼は元気にN中等部に通っています。
一旦ホッと出来ているところです。
そうそう。最後にお伝えしておきたいことがあります。
わたし自身、このちょっとハードな人生を恨むことはありません。
悲劇のヒロインになることもありません。
これもこれでわたしの人生。
ちょっとだけ濃いぃかな?くらいに思ってます。
ここでネタにもしてますしね笑
確かに家庭環境はディープでした。
ときどき祖父母間では手が出てましたし、なんかお皿も飛んでたし、祖父は酒に酔うと父に絡みます。
夜中の2時に説教しに部屋にやってくるのです。
要するにアル中です(笑)
だからわたしはお酒を飲みません。
酒なんて悪さをするだけだ!くらいに思ってます😂
でもそれもこれも含めていろいろあったから夫に出会えただろうし、息子にも出会えた。
今、すごく幸せですよ😊
全く後悔がない訳ではないですが、未来は自分で描くものですからね。
人にはそれぞれエピソードがあります。
浅くても深くてもその人にとっては一大事。
あとはどう受け止めるのか。
どう決断をしていくのか。
わたしが頑張れる理由は『歴史を繰り返したくないから』。
さて。未来はどうなっていくのでしょうか。
楽しみに毎日を過ごしていくとしましょう。
今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。