ミルク牛
かなり前に描いた落書きですが、割と気に入っているのでnoteに載せることにしました。
数年後に思い出したように掘り出してきて、色をつけました。
ミルク牛を描いた当時は下手だから誰にも見せられないな、と思っていたような気がします。
今では、別にいいや!と気楽に雑な落書きでも載せられるようになりました。自分でもびっくりしています。
考え方の変化が起きたんだろうなぁ。
振り返り思い出話ですが、昔は頭身が高い絵が描けるようになりたくて、頭身が高い絵を描いていました。というかそれが当たり前だと思っているところがありました。
でも、うまく描けなくて腹が立つし、楽しくない。落書き的な絵なら楽しくささっと描けるなと気づいて方向性を変えました。
はじめはこれって逃げなのかな...と落ち込んでいましたが、どうでもよくなりました。
いろいろな絵を見ていて、あ!すき!こういうのが描きたい!と心動かされる絵が、デフォルメ的な絵だなということに気づきました。
もちろん頭身が高い絵も好きです。
他の人の絵を見て、自分なんて...と落ち込むことがよくありますが、好きな絵や目指している方向性が違うことが多いので、自分と人を分離して考えられると楽になれるときもあります。
素敵な絵を見て、素直に素敵だなぁ好きだなぁと思える時と、どうせ自分なんてと思う時って何が違うんだろう?とふと今思いました。
自分に近い存在の人だと落ち込むのかな。
離れていって、自分が置いてきぼりにされているようでさみしいのかもしれないな。私はよくこういう気分に陥ります。
そういえば過去に実際そういう似たようなことがあったかもしれない。ぼんやりと思い出しました。
それで新しい出会いがあることもあったので、よかったのですが、引きずってるのもかもしれないですね。多分実際離れていってはいないんですよね。
実際そうなるというよりは、勝手に想像して悲しくなっていることが多いです。
このnote書いてる途中で、うーん、どうやったっけ?と何度か考えこみました。笑
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