僧侶みたいだと言われ、「たしかに」と思った話。
先日、私は出席しなかった読書会にて「サナフミは僧侶だ」という話が出たらしい。一瞬「?」が頭に浮かびましたが、あながち間違っていないと思ったりします。
なんせ私は、今、実に健康的な生活を過ごしていますので。
不要不急の外出がない身となり、今の自分にできることは、自宅で過ごすことです。昼間は、ウォーキング、ランニングをしに公園へ出かけ、夜はオンラインで交流会。移動時間ゼロだから、終わったら早めに就寝します。
読書、早寝早起き、自炊(奥さんが作る料理)、適度な運動、アルコールフリー(以前から)、家族との時間を過ごす。味気ないといえば、それまでですが、今まで後回しにしがちだった大切なことが、今は生活の中心にあります。
外的要因によって、強制的に生活の優先順位が変わっているわけですが、これは一時的ではなく、これからの自分のスタンダードになるんだろうと思っています。以前のような生活にはきっと戻れません。
自分の生活がこれからどうなるのか、不安がゼロなわけではないですが、考えても自分にできることが限られています。なので、今は、この与えられた時間を最高のものにするために、最善を尽くしています。
色々と自粛する風潮がありますが、他人に迷惑になるような(感染を拡大されるような)ことはもちろん避けます。しかし、それ以外であれば、自分がやりたいことにとことん時間をかけたいですね。
他人の批判をしている暇はありませんよね。
最近、自分の自由になる時間が増えたことによって、自分の当たり前が変わってきています。新人から数年間は、残業も厭わず、バリバリ働いていました。もっと仕事ができるようになりたい。もっと成長したいと。
でも、今は「仕事で残業しているほど、暇ではない」と考えていますね。仕事もいろいろですが、他人に与えられた仕事はできるだけ短時間で終えたい。仕事でも、自分のことでも、やりたいと主体的に思えることに時間を使いたい、そう心から思います。
やりたいことがありすぎて、時間が足りません。知人の子ども(高校生)は暇すぎて、やることがないと嘆いているようです。見たいYoutubeも全部見た。バイトもパートが優先で高校生はシフトに入れてもらえない。暇すぎる、と。
時間を分けてくれ、って思いますね。そういった学生に知的好奇心とか、何か心が躍るような体験を共有したいものです。説教しても、どれだけ言葉を尽くしても、なかなか伝わらないからこそ、相手を変えようとせず、自分が楽しむことを精一杯やっていきたいです。
英語のニュースをスラスラ読めるようになる
世界史と哲学に関する、自分の座標軸を作る
会計知識を高める
小6の自分より速く100mを走る(市民大会に出場)
音楽史を学び、クラシックを楽しめるようになる
自分の俳句が、雑誌に掲載される
書き出すときりがないですが、その実現のために(いや、むしろ進むプロセス自体が楽しい)、毎日コツコツその一歩を進めております。
僧侶であるなら、ポジティブで、陽気なタイプでありたいです。