自分のことは「不安」、子どものことは「心配」
あるパパは1on1で、こう語りました。
幼い頃から人の顔色を見て生きてきました。自分の行動原理は”不安”を解消することです。人の心の地雷を踏まないように、怒られないように、できる限りの準備をする。リスクを回避する。そんな人間です。
そんな考えもあるんだ、と受け入れつつお話を聞き続けると、いろんな実体験を紹介しながら”不安”について力説する、一方、子どものことになると、”心配”はするが不安はないと語ります。
なぜなのか。
自分のことは自分でなんとかなるけど、子どものことは自分がコントロールできないから、良い意味であきらめて考えらえる。これが理由でした。
一見すると無責任のように思えますが、子どもとの距離感って大切なことだと思います。子どもを自分の一部のように考えると、思い通りにならないことに腹を立ててしまいます。当たり前のようなことですが、自分とは違う人間だと考えておくことが大切なんでしょうね。
考えてもどうにもならないことは、あえて自分から切り離してみることで、感情(不安)に振り回されることを防ぐことができます。不安は安心があらず。心配は、心を配る。不安の領域から抜け出すことはできないのは、自分のことばかりを考えてしまうことが原因なのかもしれません。
子どもの将来が不安です、とパパが語る場合、それは「子どもの将来が(パパの理想でないと、自分が子育てに失敗したと感じそうで)不安です」と考えることもできます。子どものことを考えているようで、主語が「自分」になっています。
相当意識しなければ、気づかぬうちに子育ての主語が「自分」になります。自分と子どもを分けて捉えた上で、主語を子どもにして考えを深めていく視点を忘れないようにしたいですね。