心が動けば、記録はいらない
幼稚園の先生から、幼稚園での様子を描いた手紙をもらってくることがあります。一人に対して、5人の先生から手書きのコメントが入っているんです。すごい手間がかかっていますね。受け取るたびに、全員にコメントを書くのは大変だろうな、と思いを馳せてしまいます。
自分が書く側だった時は、こんなコメントで本当に喜んでもらえるのだろうか、と思ったことがあります。しかし、実際親の立場になると、具体的に、何をしているのか、伝えてもらうと嬉しいものです。特に、エピソード的な内容だと状況が頭の中に浮かんでくるので、家庭での会話のきっかけになり価値あるものだと感じます。
これは、漠然と「担当の子ども」というレベルでお世話をしていたら書けないものですね。園児一人ひとりを個人として観察をしていなければ、書く言葉が浮かんできません。しかも、いちいちメモ書きする余裕もないはず。だから、心のメモに書いておいて、あとで手紙に言葉を書き出す。先生が嬉しいな、この子の良いところを発見した、という喜びがあるからこそ、心に記憶できるのだろうと感じます。
どうしても、学びとか記録となると、写真やメモに頼って、記憶しようとします。ですが、本当に大切なものや心が動いたものは、記録なんて必要ないんでしょうね。小さい頃の記憶も、ほとんど覚えていませんが、数少ない覚えていることは、何か心を大きく揺さぶられたことだと思います。
私の場合は、母が病気で倒れた時の記憶は今でも鮮明に覚えています。その話を誰かにするときは、当時の感情が蘇り、必ず泣きます。誰しもそういった経験があるのではないでしょうか。
そこまで強烈でなくても、人生おいての喜怒哀楽は、思ったよりも抑圧されているような気がします。子どもを見て、あらためて感情を表現することの大切さを思い出します。きっと、子どもたちと長い時間を過ごす、幼稚園の先生は子どもに近い感性を持っているんでしょう。
そんな感覚を学びながら、子どもの記録を心の言葉で書き出していきたいものです。