右肩上がりの思考に囚われないように
「成長」「向上」「学び」「気づき」「成果」
どれも、ポジティブな言葉で、一般的に「良い」意味で捉えることが多いですね。しかし、このどれも右肩上がりの矢印が見えてきそうな言葉に違和感を持つ人もいるのが事実。
「維持」「温和」「安心」「平行」
横棒が見えてきそうな言葉たち。こういった言葉を好む人がいる。
自分が普段どんな言葉をよく使うのか、そこには自分の無意識下にある考えが表れています。自分で意識しようとしても、気づかないものです。周りの人も自分に似た人が多いですから、自然と言葉のニュアンスが近寄っています。
先日、言語化(論文)について考えたとき、問いだの、論証だの、色々と賢そうなことを書いています。
でも、これもきっと「そんなに難しい言葉を並べないで、気楽にいこうよ」と感じる人がいますね。自然で、ありのままの自分を認め、背伸びしようと生き急がない。そんなスタンスも魅力的ですね。
どちらが良い悪いという話ではなく、自分はどう考えるのか、が大切であります。私の場合は、どうしても成長や学び、自分を向上させることに喜びを感じます。いわゆる、意識高い系と言えるかもしれません。
ただ、私は選択的意識高い系でありたいです。つまり、人を見下したり、自分の知識を自慢したりせず、自分と異なるスタンスで考える人を認め、その上で、意識高いことを考える。そのように振る舞っていきたいと思っています。
人の痛みがわかる人になりなさい、と幼い頃に言われたことがあります。確かにそうなれたら良いですが、人の痛みなんて、そう簡単にわかるものではありません。相手と同じ経験ができない以上、どこまでいっても想像の域を出ません。
相手と同じことを考えるのではなく、相手との違いを理解した上で、相手の気持ちを想像する。そんなことができるように努力していきたいですね。