わが子の命を守る自分の将来に期待する
2歳児は天使であり、悪魔であります。話すことがしどろもどろで、ときにユーモア溢れる発言をして、周りを笑顔にします。その一方、「イヤだ!」と泣き叫び、周りを気にせず、自分の感情をあらわにします。
こんなご時世ですが、先日人数制限をしているプールに2歳のわが子を連れていきました(4歳の娘も一緒に)「プールサイドは走らない」と書かれた看板の前で、全力疾走で移動。
頭を打たなかったのが奇跡ではないかと思うくらい何度も転ぶので、こちらはヒヤヒヤしてばかりです。もちろん手を繋いで歩いてくれません。握ったその手を離さないで、と思った瞬間に走り出しています。何かあってからでは遅いと思いつつも、あまりにも行動を制限するのも可哀想だと思ってしまいますね。
もちろん命に関わるような場面、交通量の多い道路脇を歩いているときや電車を待つホームなどでは、子どもからは一瞬も目が離せません。一度目を離して、大惨事が起きてからでは取り返しがつきませんからね。次は気をつけようでは済みません。
ただ、ずっと監視するような気持ちで接していたら、こちら(親)の精神が持ちません。緊張状態が続いて、ドッと疲れてしまいます。(実際、プールで泳いでいないのに、とっても疲れました)
早く自立して、自分に身は自分で守ってくれ、と思ったりもします。ですが、自分もそんな幼児期があって、親に命を守ってもらっていたのだと考えれば、社会への恩返しだと思って、心を落ち着かせています。
これが10年経ったならば、わが子もある程度、自分のことが自分でできるようになります。そのときは、また違った悩みが出てくると思いますが、一緒にいて命を守ろうと気を貼ることは、ほとんどないでしょう。
それまで、わが子に注意を向けながら行動するのが当たり前だった状態から解放され、自分のことに意識を向けることができる。そうなったときには、20代のときより人間としてパワーアップしている気がします。
多少わがままを言う人がいても感情を使うことはないでしょう
外出予定を立てたら、時間に遅れることはないでしょう
臨機応変な対応を求められても、焦らないでしょう
何か迷惑をかけたら、素直に謝ることができるでしょう
人間として、ひとまわり成熟した自分に期待して、明日からもわが子の命を守っていきたいです。