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オススメの発信方法 「つけたしアウトプット」

本日、わが学友から「つけたしアウトプット」という考えを学びました。文字通り、あるコンテンツからの学び、考えを発信することです。自分がゼロから生み出すプレッシャーがないので、継続しやすいそうです。

そこで、私は自分の文章に対して、「つけたしアウトプット」をしてみようと考え、5月に書いたnoteを3つ取り上げてみました。

子ども(4歳)と公園で遊ぶ中で、たくさんの「できない」(ボールを蹴る、投げる、ゆっくり走る、縄をタイミング良く跳ぶ)を見つけたときの話。あたりまえのことは、誰から教えてもらったのか、覚えていないもの。いつのまにか、できるようになっていますね。

文章の中には、簡単な課題からステップアップしていくことが大切と書いています。しかし、あらためて考えると、そういったアプローチを考えるよりも大切なことがあると気づきました。それは、「こんなこともできないのか」と思いたくなる幼い頃の私を諦めずに導いてくれた人がいるってことです。

これは、最近読みました、世界は贈与でできているという本の考え方に通じると思いました。

他人に対して、何か行為を行い、相手から感謝されたら、それは「交換」である。
与えられた本人が、その瞬間には気づかない。そして、時を得て、あのとき私は贈与を受けていたのだと気づく。それが、贈与の本質である。

きっと、私も誰かからの贈与を受けて、あたりまえのことができるようになったのだと思います。だからこそ、私も誰かのあたりまえができるように、導く存在になりたいです。そのときに感謝されなくとも。


SNSを見ていると、どうしても他人と比較をして、自分は大したことがない人間出あると考えてしまう話。

最近あらためて、SNSのフォロワーとは何かを見つめ直しています。少し前はやはり多くの人にフォローしてもらうような人になりたい。そう考えていました。しかし、最近はフォロワーが増えることによるデメリットも理解するようになってきました。

つまり、自分の発信したことが必要以上に歪曲されて解釈されて、誹謗中傷を受けるというものです。自分のメッセージが伝わる必要のない人まで届いてしまう。それも、自分が発した文脈がない状態で。これは、なかなか辛いですね。何も言えなくなってしまいそうです。

だからこそ、私の場合は(今現在の考えとして)顔見知りの人+αの範囲でつながるSNSで良いと考えています。もちろん、自分の考えやメッセージに共感してもらえる人が増えるのは嬉しいですが、地に足がついた状態で一歩一歩進んでいきたいと考えるようになりました。

誰かを応援する立場で、発信するのも良いのかなとも考えています。この辺りは、これからより深く考えていきたいテーマですね。

タイトルがどこかの経済雑誌の記事のようですね。

リアルで人と接する機会が減っている今、私自身、挨拶や心配りがうまくできなくなっているのではないか、と不安に思っています。自分では変わっていないつもりでも、下手くそになっている気がしてなりません。

どれだけ読書や勉強、スキルを向上させても、人と人のコミュニケーション、特に相手のことを察する力は、実践の場でしか磨いていけないものだと思います。

相手の気持ちを慮る、汲み取る、言わんとすることを知る。こういった人間だからこそ察知できる感覚を鈍らせないでいたいと、私は思います。

オンラインでコミュニケーションをとるときは情報が限られているからこそ、察する難易度は、リアルでよりも高くなります。情報伝達は上手にできても、信頼関係の構築は、上手くできないかもしれません。

言葉にならないものを言葉にする鍛錬を続けていく必要がありますね。


こうやって自分の文章にさらに、自分でコメントをするのは新鮮でした。月に1回、このように振り返ることをやってみようと思います。

皆様も、ここ1ヶ月で書いた自分の文章を読んで、振り返ってみてはいかがでしょうか。

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