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第46話 セックス・ロック・アナフラニール

「セックス」
「は???」

いきなり何を言い出すのだ。気でも狂ったか。
「いや…Tシャツが」
吉田先生はもじもじしながら弁解した。その日わたしは、セックスピストルズのTシャツを着ていた。ああ、そうかなるほど。吉田先生はTシャツにデザインされた“sex”の単語に反応したのだ。それにしたって診察室でいきなり「セックス」はないだろう。

はにかみ笑いでごまかしながらわたしは答えた。
「えへへ、いやまぁその。ロックが好きで…」
「ぼ、ぼく70年代パンクロック世代やけんね。ピストルズとか好きなんよ」

わたしがパンクに触れたのは90年代だ。日本はそのころロックバンドブームだった。ユニコーン・プリプリ・ジュンスカ・bakutiku…etc. 数えきれないほどのロックバンドが現れては消え、ヒットチャートを賑わしていた。

そんな中でも、特性持ちが好きなバンドと言えば
・ブルーハーツ
・Xジャパン
・筋肉少女帯
だったように思う。いずれのバンドも人間の弱さを肯定する歌詞に定評があった。わたしは姉がヤンキーだったので、姉の影響でブルーハーツをよく聞いていた。その流れでピストルズやクラッシュも聴くようになった。筋少は高校生ぐらいからか。Xは琴線にふれなかったが、ファンの子は「Xに生きることを教わった」と口をそろえて言う。

「ええっ!?先生もパンク聴くの?わたし、周りに音楽の趣味が合う人がいなくて、夫もぜんぜんロックに興味ないから嬉しいです!」
わたしがいうと、吉田先生はウフウフうれしそうに笑った。

「医学生たちは軟弱な音楽ばっかり聴いてたけど、ぼくはパンクとプログレ。それとメタル。渋谷陽一にも傾倒していた。いやぁ、懐かしい」
まじかよ。そんな気はちょっとしていたけれど、音楽の趣味まで吉田先生と一緒だったとは。

わたしの夫がロックに関心がないのは、それらの音楽に接する機会が少なかったからだと思う。夫は、大分県の玖珠町の出身だ。玖珠は県北の内陸に位置する田舎町である。わたしも大阪の郊外で育ったから分かる。都会の子たちがタワレコやディスクユニオンで最新の音楽に接しているとき、わたしの地元には演歌歌手のカセットテープを売るお店しかなかった。大阪でも、市内と郊外の文化レベルを比べるとそれぐらいの差があったのだ。

もともとパンクロックは、音楽プロデューサーのマルコム・マクラーレンとファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが、自身のアパレルショップに出入りしていた若者たちに声をかけて、セックス・ピストルズを結成したのが始まりだ。(たぶん)

ヴィヴィアン・ウエストウッドは今でも人気のファッションブランドである。ピストルズはヴィヴィアン・ウエストウッドの服を売るためにスタートした側面もある。しかし、当時の鬱屈した若者の感情にパンクロックはバッチリはまり、パンクは世界中に広まっていった。

だが日本では、パンクは「育ちの良い人たち」の間で支持される傾向があるように思う。文化レベルが高い地域の、それなりにゆとりのある家庭でないと、パンクにふれる機会がほとんどないからだ。ベトナム戦争とは縁もゆかりもない大学生たちが、反戦をかかげフォークソングに傾倒した60年代と似ている。

「3食満足に食ってゆううつな気持ちでいたい」

これである。わたしはロックTシャツが好きで何枚か持っているが、それは「ロックに傾倒している育ちの良い人」を洗い出す目的も大いにあった。その捜査網に吉田先生がヒットした。

わたしはその日の診察で、吉田先生に音楽サブスクを勧めた。「プレイリストを交換しましょう」というと、先生はその場でアップルミュージックを契約してしまった。エアドロップで吉田先生にプレイリスト「パンクロック」を送信する。好きな曲をカセットに録音して友達と交換したことを思い出した。あの頃から約35年。便利な世の中になったもんだ。

「先生も今度、プレイリスト作ってきてくださいね」
わたしが言うと、吉田先生はうれしそうにウフウフ笑った。

「そんなことより、乳腺外科の先生はなんて言ってた?パロキセチンとタモキシフェンの併用のこと」
そうだ、今日はその話をしにきたのだった。
「別府病院の先生は、併用はダメだって言ってました。セカンドオピニオンで山本乳腺外科の山本先生にも聞いてみたんですが、山本先生は一緒に飲んでもいいと思うって」
「う~ん、そうか。ぼくも自信ないんだよなぁ。ダメって書いてるのはパロキセチンだけなんだけど、念のためSSRI以外の薬に変えてみる?」
吉田先生はそう言って、三環系抗うつ薬のアナフラニールを処方してくれた。三環系抗うつ薬は、SSRIが登場する前に使われていた薬である。処方箋を書いてもらい、わたしは院外薬局に向かった。

「パロキセチンからアナフラニールにお薬が変わりましたね。何かありましたか?」
おくすり手帳を見ながら、薬剤師さんがわたしにたずねた。
「パロキセチンとタモキシフェンは一緒に飲んではダメだったらしくて。念のためSSRI以外のお薬に変えてもらいました」
わたしがそう言うと、薬剤師さんは一瞬「ん?」という表情をした。そしてパソコンで何か調べ、目を見開いた。「やっべ…」という顔である。わたしはタモキシフェンを飲んでいることをこの薬局でも伝えていた。だがここでもスルーされていたのだ。

(なんでなん…大分で知名度低すぎひん?)

わたしは心のなかでそう思ったが、薬剤師さんの表情には気が付かないふりをして、薬を受け取った。


温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。