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第43話 バケモノの白い笑み

かたわらに気配を感じ、頭を上げたわたしはぞっとした。
「わたしもスマホで調べてみたんですけど…怖いですねぇ」
鈴木さんが、ソファのそばに立っていたのだ。国立別府病院の待合室での出来事だった。

前回の診察のときと何も変わっていない。わたしが鈴木さんに不信感を抱いていることは、手紙を読めばわかったはずなのに。ひょっとして、大谷先生のもとに手紙が渡っていないのだろうか。

鈴木さんならやりかねん。大谷先生あての郵便物をチェックして、わたしの手紙を先生に渡る前に回収したのかもしれない。言葉を失うわたしに、鈴木さんはつづけて言った。
「前回の診察の時に、抗うつ薬の名前を聞けばよかったですねぇ。うっかり聞き忘れてしまって、申し訳ありません。薬の名前を知っていれば、こんなことにはならなかったんですが」

は?私の手紙をアンタは読んでるんやろ?手紙にパロキセチンを飲んでいると書いてたはずや。寒い芝居すんなや。

私の中の大阪府警が怒声をあげていた。
(ふざけんなワレー‼どつきまわすぞコラー‼)
イラつきを見せぬよう、わたしは最小限の返答をした。
「はぁ」

今日わたしは、予約時間の一時間前に病院に到着した。血液検査をするためだ。結果が出るまでに1時間ぐらいかかるので、血液検査の予定がある日は、予約時間の1時間前に来院するように言われていた。

しかし、前回の血液検査からまだ1か月も経っていない。タモキシフェンとパロキセチンの併用に問題があったとしても、そんな短期間で変化が出るだろうか。「薬を確認したい」という大谷先生の言葉にもひっかかったが、血液検査の予約を入れられたことにもわたしは疑問を感じていた。

そうこうするうち、待合室に呼び出しのアナウンスが流れた。
「菊池小百合さ~ん」
わたしは診察室に入った。

診察室の中にいるのは、わたし、大谷先生、鈴木さんの3人だ。大谷先生は満面の笑みを浮かべていた。マスクで顔半分がかくれているので、目元でしか表情は分からないが、そんな風に見えた。わたしは思った。

(なに笑とんねん)

大谷先生の笑顔がわたしは大好きだった。手紙にもそのことを書いた。だがしかし、今日の診察は笑顔を見せるような場面では無い。
大谷先生は、パロキセチンとタモキシフェンの併用に問題があることを、患者から指摘されるまで知らなかった。もしそうなら、笑いごとではないだろう。

「血液検査の結果ですが、とくに問題ありませんね。肝臓の数値が少し高いけど正常の範囲です」
そりゃあそうでしょうよ。わたしは大谷先生の言葉をムッとしながら聞いていた。
「え~、電話でお問い合わせの件ですが、10㎎のパロキセチンを一日2錠ね?違う薬に変えてもらえるよう、かかりつけ医の先生に話してもらえるかな?」

この件を大谷先生がどう切り出すか。わたしはあらかじめ3つのパターンを考えていた。
①「パロキセチンとタモキシフェンの併用に問題があることを知らなかった。薬を変えてもらってください」
②「パロキセチンとタモキシフェンの併用に問題があることは知らなかったが、影響はごくわずかだと判断した。パロキセチンの服用をつづけて問題ない」
③「パロキセチンとタモキシフェンの併用に問題があることは知っていたが、緊急性は低いので次の診察のときに言うつもりだった」

結果は①だった。しかし、知らなかったとは口が裂けても言うまい。そんな強い意志を感じる。大谷先生は“謝ったら死ぬ病”だった、残念なことに。そのことは前回の診察の時に気が付いていたのだが。

「直接お会いして説明したほうが分かりやすいと思ってお呼び出ししました」
パソコンの画面を見ていた大谷先生が、そう言いながら私の方を向いた。わたしは心臓が止まりそうになった。

大谷先生の顔が、白い紙でできたお面になっていたのだ。お面は目と口の部分が笑った形に切り取られている。わたしは隣の鈴木さんに目をやった。鈴木さんの顔も、大谷先生と同じ白いお面に変わっていた。

恐怖と不快感で、頭がクラクラした。わたしは大谷先生の顔を直視することができず、チラチラと先生の顔に視線をやりながら「わかりました」とだけこたえた。

診察がおわり、車の中でどうにか人心地つくと、診察室でのできごとに思いをめぐらせた。
わたしはずっと、鈴木さんひとりの問題だと思っていた。そうではなかった。大谷先生もグルだったのだ。

(先生、どうして…)

大谷先生もわたしの味方ではない。ようやくその時、わたしは気がついた。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。