ユソフ・ガジャさんの追悼展覧会
カラフルなゾウの絵で有名な、ユソフガジャさんを偲んで、追悼の展覧会が行われました。
画家、作家、トラベラー、イラストレーター、ストーリーテラー、アート起業家、マレーシアナイーブアートの巨匠、国際絵本審査員、子供シアターの俳優、児童文学作家、ナイーブアートの指導者、子供の本ライティングとイラスト制作ワークショップのコーチ (←Google翻訳と主人の協力により訳してみました)
たくさんの肩書きを持ち、「マレーシアのナイーブアートの父」とも呼ばれている偉大なアーティストです。
ユソフさんの作品との出会いは、もう10数年以上前で、カラフルでオシャレな模様のゾウさんの絵葉書をセントラルマーケットで見つけて買いました。
その後、クアラルンプール紀伊國屋で、ユソフさんの顔写真入りポスターを見つけ、「えー?この人なんだ!」と驚いた記憶があります。実際にお見かけしたのは、2014年のアートエキスポ。
特徴のあるお姿は、ユソフさんだとすぐにわかりました。一緒に写真を撮ってほしいと頼んだら、快く引き受けて、「また今度スタジオに遊びにおいで」と言ってくださり、数年後、私が参加したグループ展で再会でき、また遊びにおいでと誘って下さったので、その時、奥さんのザキアさんの連絡先を聞きました。
ザキアさんは、「ママザキア」とか「ガジャのママ(ゾウさんのお母さん)」とか呼ばれ、みんなにとっても優しいお母さんのような存在。
2018年に、シンガポールの麻美さんから絵本の挿絵の依頼があった時に、ぜひユソフさんにアドバイス頂けたらと、スタジオにお邪魔しました。
もしかしたら、その頃すでに体調があまり良くなかったのかもしれません。最初寝起きのような顔で出てこられたにも関わらず、絵本のアドバイスをいただきたいとお願いすると、すぐに紙とペンを取り出して、どのようにページレイアウトしていくかとか、表紙は1番大切だから、魅力的なものでないといけないよとか、こちらの都合で突然押しかけたにも関わらず、真剣にご指導下さったのを覚えています。
奥さんは終始笑顔で、バティックのワークショップをして下さったり、手作りのミーゴレンをご馳走になったり。
そして、奥さんの関わっている出版社の方にその場で連絡、なんと出版のサポートまでして下さったのでした。
その絵本については、このブログに書いています。
https://note.com/sanae_yamada/n/n266216f4f614
ご病気なのは聞いていたので、お見舞いに行こうかと思いつつ、でもコロナが終わったら・・・と思っていたら永遠のお別れになろうとは。残念な気持ちが込み上げます。
マレーシア独特のナイーブアートを制作し、活躍しているマレーシア人アーティストたちの中にも、ユソフさんの指導を受けた人がたくさんいて、訃報のお知らせのあと、Facebookにもたくさんの追悼メッセージが書き込まれていました。
40歳をすぎた頃から、人生ももう半分、私は何を残せるかなと考えるようになりました。そして気がついたらもう50歳。今は人生100年時代と言われるから、もしかして今が半分なんだろうか?とか、図々しいことを思ったりして。
でもいつ終わりが来るかはだれにも分かりません。
ユソフさんが残されたものは、作品や本だけではなく、みんなの心の中でもご恩や感謝の気持ちとしてずっと生き続けることでしょう。
今まではとりあえず何でもやってみたくて、欲張って何もできなかったこともたくさんあったけど、これからは、ゆっくりでいいから私が残したいものについても考えてみたいと思います。