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経験は能力。おにぎりの会に参加して思ったこと
*2020年12月27日初出。
2024年12 月現在、理事として参加しているNPO法人イルタテエの理事長きどかつやさんは社会福祉士で、福岡市におけるホームレス支援の中心的存在おにぎりの会の事務局員です。その機動力で数えきれないほどの路上の人々の人生を支えてきました。もう4年前、私も夜廻りに参加しました。その時の気づきを綴っています。
12月25日、「福岡おにぎりの会」の夜回りに参加しました。
天神地区でお会いできた32名の方々、温かい豚汁とお一人分に詰め合わせた食事、必要な方には防寒着などの衣類、そしておひとりおひとりのお名前を記したクリスマスラッピングされたプレゼント。みなさんの顔が綻んだひとときでした。
私たちが夜回りを終えたのは22:30頃。善行の余韻などありません。みなさんとお話すればするほど自分の無力さに情けなくなるばかり。私はこれから帰る家があるけれど、ここでお会いできた方々には、これから長くて寒い夜が始まるのです。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、以前はぽつぽつ見かけていたブルーシートや段ボールハウス、近年見なくなりましたね。それはホームレスの方々がいなくなったのではなく、そういう暮らし方をする方々を排除したから。定住場所という拠点を失った方々には夜をどう過ごすかが大問題。まさに命の問題です。
厳寒の中、屋外で安心して眠れる場所などあるはずもなく、多くの方々は夜を徹して歩き、公共施設が開く昼間、暖かいその場所でようやく冷え切った身体を休めることができるのだそうです。
23時過ぎ、私が帰宅した後も天神のどこかを歩いている方たちがいる。その思いがずっと頭から離れませんでした。
先日講演会にうかがった「抱樸」代表の奥田知志代表の著書『いつか笑える日が来る』にこういう記述があります。
・二度とホームレスになりたいと思わない。けれど、ホームレスをしたことは決して無駄じゃないと今は思える。なぜなら、助けてもらう喜び、だれかを助ける楽しみを知ったから。『生きていれば笑える日が来る』。嘘だと思うでしょう。でも、死ぬことしか考えていなかったおじさんが、こうして笑って皆さんの前でお話しできる。これこそが証拠だと思います。(生笑一座の挑戦—「助けて」と言えた日が、助かった日)
5人のホームレス経験者によって結成された「生笑一座(いきわらいいちざ)」のおひとりが、小学校でお話しされた内容の一部を紹介いたしました。このお話、子どもたちはとても真剣に聞くのだそうです。
・ホームレス時代を生き延びた人には、「特権的なことば」が確かにあるのです。それは、あえて「能力」と言ってよいでしょう。私には「見えない」世界が彼らには「見え」ており、私には語ることのできないことばを彼らは「語る」。たとえ私が同じことばを語ったとしても、意味や深みが違います。これはすごいことではないでしょうか。(同上)
奥田代表の言葉です。「特権的なことば」、たしかにそうですね。経験より強い裏付けはありません。だとすれば、ホームレス経験はたしかに「能力」です。そういう能力を持つ方たちがもう一度社会に復帰し、それを発揮できること。再チャレンジが当たり前にできる、そんな社会の実現。それが可能になれば今山積している問題の大方はなんとかなるような気がします。
上記の「生笑一座」の方の言葉の「ホームレス」をたとえば、「不登校」に置き換えて読んでみてください。すると、この問題は(おそらく今現在、不登校問題で考えていらっしゃるだろう、だからこそ当ブログをご訪問くださったのであろう)あなたの問題になります。病気、貧困…などなどあらゆる言葉に置き換えて読んでみてください。再起可能な社会であれば大抵の不安からは自由になれることをご理解いただけるでしょう。
クリスマスの夜にお会いしたみなさまの幸せを祈ることはすなわち、私自身の幸せを願うこと。自分の幸せのため、と思えば頑張れますものね。
不登校問題を考えているうちになんだかここまで運ばれてしまいましたが、これも必然なのだと思います。不登校当事者及びそのご家族の支援という当初の目的から逸れることなく、でも不登校の背景となっている社会問題も考えてみたいと思う2020年、年の瀬です。