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Merry の芽、育てましょう
*2020年12月25日初出。
コロナ禍最中の頃のブログ。
今となっては懐かしい。
もう4年前なんですね。
Merry Christmas 🎄
昨日のイブはいかがお過ごしでしたか?みなさまのところにも超絶ご高齢だけど免疫力高い聖ニクラウス氏が、いよーっほっほっほと高らかに笑いながらご来訪くださったことと存じます。
大掃除にあけくれていた(笑笑)わが家ですが、多分ニクラウス氏、来てくれたんだなっていう「足跡」みたいなものは感じました。奇跡のような幸せはなかったけど、でもこうして毎日を過ごせることに感謝する気持ちをもてるようになったこと、皮肉だけど、コロナ禍の今年だからこその収穫です。
これ以上ないと思うほど幸せで楽しいクリスマスを過ごしたかと思うと、その翌年は信じられないような不幸に見舞われる。ああ、去年の今日はあんなに幸せだったのに、とますます落ち込んでしまう…とか、これってけっこうあるあるですよね。もちろん逆もあり、です。
でも、こういう振り幅のある気持ちを感じられるのも、今生きているからなんですよね。私が経験した悲しみなんて大したことじゃないかもしれないけど、でも一瞬だけど、「そう」した方が楽かなぁって思ったことがあるのも事実。長く生きていれば色々あります。
団欒が強調されがちなクリスマス(コマーシャリズムの挑発に乗ってはいけません。笑)に孤独感を深めてしまう人もいるかもしれません。でもね、
クリスマスは結局、ただの一日。
いや、むしろ、この世に生まれてしまったイエス・キリストの悲しみに思いを馳せる一日なのかも。
干支五巡近く生きてきて、それこそ色んなクリスマスを経験してきて思います。SNSやテレビ画面に溢れる「幸せ」は永続性がないからこそ美しくて、みんなそれを切り取って保存しようと思うのでしょう。でも、本当はクリスマスもいつもの一日と同じ心持ちで淡々と過ごし、けれどそんな中で、ああちょっと幸せ!って思える瞬間に出会えたら、それがクリスマスプレゼントなんですよね。最近私はそんな風に思ってます。
聖ニクラウス氏、これ、違ってる?