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心ない言葉

*2021年10月27日初出。
3年前、私は週に一度独居の母のため実家を訪れていました。高速道路を使って片道3時間。早朝出発して、日付が変わって帰宅。仕事の関係で一泊は難しかったのです。その頃のジレンマについて書いています。
その後、2023年10月に私の自宅近くのメディカルホームに転居した母。その経緯については、また別稿にて。
幸せな老後ってなんだろう?
それをひたすら考えた遠距離介護の2年間。答えはまだわかりません。



最近週一で実家に帰っているお話はしましたね。母高齢化で、それはいつかしなければならないと思っていたことなので、身体的疲労はもちろんありますが(私自身が高齢化。笑笑)、放置することによる精神的疲労よりずっといいと思っています。要するに、これは母のため、以上に自分のため。後悔したくない、というわがままかもしれないなあと思うこともあります。
そんなことを考える一方で、外から聞こえてくる声はけっこう厄介です。

いわく、
・お母さま、おひとりで大丈夫?
・ご長男はおうちをどうなさるおつもり?
・そろそろご同居を考えられたら?
このあたりが頻出上位三種でしょうか。

こうした発言が厄介なのは、「孝行」という無敵ワードがある以上、帰省して同居するとか、逆に自分たちのところに呼び寄せる以外の、どんな回答をしても「親不孝な子どもたち」認定をされてしまうこと。
君に忠、親に孝。封建社会を支えてきた儒教思想から何ら変わらないムラの意識の根深さをひしひし感じます。

現況、母は独居。これは事実。でも週に二回のデイケアと週三回のヘルパーさんの訪問、近所には嫁に来て以来の親友がいて、毎夕訪ねて来るその人とお茶を飲む。年下のキレ者の友人夫妻が、果樹園の手入れをその果実と引き換えにしてくれる、親戚も近隣に住んでいる…。

これだけの条件を全て振り捨てて、たとえば母が福岡に来たとして、幸せになれるでしょうか?メリットはただ、娘がいる、その一点のみ。逆の立ち位置から言えば、母を取り巻いていた環境全てを、私ひとりが負うことになるのです。これ、現実的ではないですよね。
親子関係について、あれこれ言ってくる人に欠けているもの、それはやはり人権意識だなぁとしみじみ思います。「べき論」で話す人は相手の個々の事情を斟酌していないし、正義という万能感に満ちている時はこちらの話を聞こうとしません。

人間はひとりひとり、みんな違っていて幸せの形もそれぞれ違う。みんなが100%幸せになれるのが一番だけど、それはおそらく無理。だとすれば、どこで折り合いをつけるのか。それを根気よく調整していく以外ないんですよね。

そんな経緯の中で、現況、母と私の関係を考えると、私の週一帰省が最適ということになるわけです。

この一日を確保するために他の予定をキャンセルしたり、調整が必要になることもあります。周囲の方々に迷惑をおかけすることもあり、心苦しく思います。でも人間、長い人生の終盤くらい楽しく過ごしたいと思ってもいいんじゃないかなと思うのです。今後、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、その際はどうぞご容赦くださいませ。

娘の不登校時期もそうだったのですが、相手がしんどい状況にある時に「正論」とやらをぶつけてくる人が、実際に支援の手を差し伸べてくれることはほぼありません。言いっぱなしです。だからこちらも聞きっぱなしでよいのではないか。私はそう思っています。

あー、あなたはそうお考えなのですね。(完)

です。その後は、さわやかに微笑んで、「じゃっっ!」と手を振って立ち去ってください。もう二度と、その人は何も言ってきませんよ。(経験者談)。笑笑。

言葉にはその人の本質が現れます。心ない言葉を放つ人は心がないのだ、そう思って自分の心を守りましょう。

これでいいのだ!(敬愛するバカボンのパパ)
↑愛がありますよね。

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