ローカルルール
*2019年10月30日初出。
私は「いじめ」という言葉が嫌いです。
というか、実態にそぐわない、事実を歪曲し、隠蔽してしまう言葉だと思います。その行為によって、落命したり、自ら命を絶ったりする人々がいるのに、それが起こった空間がたとえば学校だったりすると、犯罪扱いされることはなく、「いじめ」の一言で済まされてしまいます。おかしいですよね。懲罰主義を推奨しているのではありません。「いじめ」という言葉によって韜晦されているものの正体についてきちんと考えるべき時なのではないかと思うのです。
今、世間を騒がせている問題の大半は、人権意識の欠如に端を発しているような気がします。
人権=自由。
他者の自由を尊重し、自らの自由も尊重される。この考え方を徹底すれば、教育現場の問題のほとんどは解消されるのではないでしょうか。実際、教育の分野で成功を納めている北欧諸国が最も重視しているのが人権です。個人として尊重されないシステムの中で、学びに積極的になるはずはありませんよね。教科を詰め込む前に、この人権意識を子どもたちに伝えてほしい。そのためには、まず大人がしっかり学んでほしい。そう思いました。
しかし実際のところ、この人権意識と対極にあるのがこの国の教育現場。ここには、対児童生徒には「校則」、対教員には「慣例」というローカルルールが存在します。
たとえば、学校内での暴行・傷害・器物損壊は、学内の処分で済まされることがほとんどです。いじめにしたって、体罰にしたって、あれは、実は刑事事件です。街中で殴ったり、蹴られたり、金品を収奪されれば、実行犯は逮捕されますよね。でも学校で起きたことはそうはならない。ローカルルール優先だから。
学校現場でとても頑張っていらっしゃる先生方がたくさんいらっしゃるのはわかっています。だからこそです。そんな先生方の頑張りを無にするような、不合理なローカルルールを見直していただけませんでしょうか。
人権に先立つルールなし。
子どもはもちろん、学校現場で頑張っていらっしゃる教職員の権利をしっかり保障する、そんな仕組みができたら、不登校問題もまた一つ進展するのではないかと思うのです。