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マイカウンセラー
*2019年1月28日初出
1月26日、急な冷え込みに見舞われた福岡。打ち付けるように降る雪。あの日もこんな雪が降っていたなあと思い出した。5年前。私は、ここを訪れたのだった。
対峙すべき問題が出来したことは、前回の記事に書いた通り。私は迷わず、カウンセリングに行くことにした。心の問題を扱う機関は色々ある。精神科、心療内科、カウンセリング、占いもその一つかもしれない。状態によって掛かる機関は異なるわけだが、今、私に必要なのは、内なる私との対話を潤滑にしてくれる存在。私の内の暗がりを照らしてそこに潜んでいるものに話しかけてくれる存在。そう考えたとき、すぐに訪ねてゆける場所があるのはなんとありがたいことだろう。
福岡西部で最も賑わう学生の街の一角にあるカウンセリングオフィスI。約束の時間より少し早く着いた私を、先生は5年前と同じ穏やかな笑顔で迎えて下さった。ここに来たのは娘が不登校になった時。あの時は本当に、もうどうしたらいいのかわからず、藁をも掴む気持ちでここに来た。知人の紹介の言葉通りの信頼できる先生で、一度のカウンセリングで私の心はずいぶん落ち着いた。その後も定期的に通えばよかったのだが、事態が何となく収束したように見えたこと、娘自身は目標を持って動き始めたことなどにより、つい、足が遠のいてしまったのだった。けれど、私の心にはいつも、護符のようにこのカウンセリングオフィスがあった。何かあればここに来よう…、そう思っていた。
今回の来院の理由を話す。カウンセリングというより、信頼できる友人に話す感じ。話すことは大切だ。デトックスになる。だから、あちらこちらで同じ問題を抱える親の会が開催されている。私もそこに参加した。それはとても貴重な体験だった。自分と同じような境遇の方々の話を聞くことでほぐれてゆくものもあったし、楽にもなった。その経験があったから、私は動き始めたのだと思う。その経験に感謝しつつ、自らを省みる。けれど、それだけでよかったのかと。
親の会で話したり聞いたりすること、これは多分、水平方向への発信だ。自分と同じ問題を抱える人との心理的連帯を有することで孤立、阻害といった悪感情から自由になれる。気持ちが楽になる。これはとても大切なことだ。なぜなら、親が苦しければ、子どもはもっと苦しいから。親が楽にならない限り、子どもは楽にはなれないのだ。
でも、この発信には気をつけなければならない点がある。私はそれを怠っていた。水平方向の共感は、時に思考停止を生む。娘が不登校になってからの5年間、努力したのは娘であって、私は何一つ変わっていなかったのではないか。もっと自身の内深く、垂直方向に思索の錨を下ろさねばならなかったのではないか。だからここにきて、様々な不協和音が生じたのではないか、そんな風に思ったのだ。
この垂直方向というのはなかなか難しい。深海にダイブするのが怖いように、ひとりで潜るのは恐ろしい。だからカウンセラーの手を借りる。潜っていいところかどうかの線引きをしてもらいながら、次第に深部へ進んでゆく。その途上で気になった石ころや瓦礫や、ひょっとしたら真珠が眠る貝や、そんなものを拾いながら、潜水は続く。そして、まだまだ潜れるのだけど、というあたりで、今日のカウンセリングは終わり。潜水病は怖い。何ごとも無理は禁物だ。
いつの間にか2時間が過ぎていた。カウンセリングというよりは、ちょっと知的好奇心を刺激される世間話(失礼!)という感じ。でも不思議と今の私がすべきことが形となって立ち上がっている。2時間前にはなかった明晰さが心地よい。5年間、放置していたことが動き始めたのかもしれない。外は視界を遮るほどの雪が降っていたけれど、心は軽くなっていた。一つ一つこなしてゆこう。大丈夫、方法はきっとある。