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倫理的に問題が…
*2021/2/24初出。
もう7年前の話なので、今の学校現場の雰囲気とは違っているかもしれませんが、トラ子にまつわる思い出を書いておこうと思います。
トラ子は協調性に欠ける生徒とみなされていました。同調圧力に靡かなかった、というか、それに気づいていなかったのです。学校側が掲げていた「個性を育てる」教育を信じていたのだと思います。だから、校則はまだしも同調圧力という不文律に縛られた学校生活に感じた違和感を拭えないまま3年間。教職員のみなさんからすれば、
「いい加減、空気読んでくれよ。」
と言いたくなる場面はたくさんあったでしょう。要領のいい、大人な生徒たちはそこのところ、うまく立ち回れます。そんな子どもと融通の効かないトラ子のような子ども…。多忙を極める現場職員にとってありがたいのはどちらか、というのはもう自明ですよね。
そんなトラ子と学校側との決裂が決定的になったのはやはり、生徒指導をめぐるやりとりだったと思います。ある指導に対して、どうしても得心いかなかったトラ子が、その理由を問うたところ、
「そんなことばかり言ってるから倫理的におかしいって言われるんだ。こんなことすら理解できないなら、将来、社会で生活できるはずがない。」
と、屈強な◯育教師に胸ぐらつかまれて言われたのでした。
それを聞いた時はさすがに私も平常心ではいられませんでした。学校側に一言、という私を制止したのはトラ子。火に油だし、もうすぐ中学校も終わりだから、と。
こんな経緯もあり、私自身、学校に期待するところがなかったので、その後のトラ子の不登校を比較的早く受容できたのかもしれません。
それから7年。高校には行かず(受験そのものをしていない) 、高卒認定試験から大学受験。大学でもあちこちぶつかりながら手探りで4年間、わが子ながら本当に頑張ったと思います。協調性がない、倫理的におかしいと言われ続けたトラ子でしたが、数学好きという同好の士が集まる環境で多くの友人に恵まれました。
コロナ禍下にあった昨年(それは現在も続いていますが)、今後の進路に関わる大事な一年であったのに、その間一度の帰省もかなわず、全てを自分で決めねばなりませんでした。
自粛期間、感染不安、そんな様々な困難と戦いながら、先日、ようやくトラ子の進路決定。希望していた大学院に外部進学となりました。今はそれに伴う引っ越し準備、入学準備、大学院からの課題、と息つく暇もない日々で、本当にかわいそうになりますが、誰の手も借りず、そんな煩瑣な作業をこなすトラ子を、私は尊敬しています。
中学校で受けていた日々の指導。教職員のみなさんに悪意があったとは思いませんが、でも、子どもにとってはその指導の文言が「呪い」になることもあります。
協調性がない
倫理的におかしい
こう言われ続けた子どもの行く末はどうなるのでしょう。こんなセルフイメージを抱えて生きていくのは辛すぎる。そうなる前にその場を去る決断をしたトラ子。当時はなかなかそれを納得できませんでしたが、今はそれで良かったのだと思います。
結果論かもしれません。でも、子ども自身が決めたこと。不登校って言葉では簡単に言いますが、実行するにはかなりの胆力が必要です。それでもそうすることを選んだ子どもに寄り添って、同じ風景を見るのもいいのではないでしょうか。時間が解決、いや、時間しか解決できないこともあります。