みんな『テス』
*2020年10月25日初出。
このブログを書いた頃、世間はコロナ禍最中。外出自粛要請が出され、社会のありようが変わりました。その影響を真っ先に受けたのが非正規雇用の人々。特に女性の失職率が高かった。そんな中、福岡で起こった30歳女性の刃物による恐喝未遂事件。容疑者はコロナ解雇で路上生活を強いられていました。
何が悪かったのだろう?
この女性をこんな凶行に駆り立てたのは何だったんだろう?
胸が締め付けられる事件でした。
この西日本新聞の記事(↑参照)は反響が大きかったようで、他にも何人もの人がSNSを通じてシェアしていました。
この記事を読んだ時思い出したのが、トマス・ハーディの小説『テス』(Tess of the D’urbervilles)。1891年のイギリスの小説です。
ご存知の方も多いでしょう。イギリスの田舎で行商人の長女として生まれたテスが、家族の貧困を救うため様々な辛苦を味わい、心身に過大なダメージを負いながらも必死に、誠実に生きようとした5年間(年齢でいうと、17歳直前から22歳)の物語です。
小説がテス22歳という若さで終わるのは、それが彼女の享年だから。ネタばれになりますが、しかもそれは処刑という形で幕を下ろすのです。興味を持たれた方はぜひお読みになってください。
この小説の鑑賞の切り口はさまざまでしょう。貧困、教育、性暴力、社会階層、ジェンダー。そこからさらに、DV、パワハラ、モラハラ、セクハラ、ミソジニーなどなど、現代社会において問題になっているワードに置換可能なテーマが山積しています。
19世紀末のテスの物語が私の胸を去らないのは、2020年の今もそこここにテスがいるから。上記新聞記事の当該女性もまたひとりの「テス」だし、私もほんの少し、踏み外せばテスへの道を選ばざるを得なくなるでしょう。
社会全体が豊かな時代には気づかない女性の立ち位置。あのバブル景気の中でもてはやされたことも、その後の失速の一途を辿る経済状況の中で非正規雇用として働かざるを得ないことも、結局、女性が経済の調整弁として扱われていることの証左です。
この小説の中で誰より神を信じ、人を信じ、自らに誠実たらんとしたのは、他でもないテスでした。最後の最後、テスはようやく夫エンジェルに助けてほしいと手紙を書くのですが、すでに時を逸していました。
もう少し早く、誰かに援助を求めていたら…。
130年前と同じ感慨を抱かざるを得ない現実に心底がっかりするけれど、でも他の誰のためでもない、自分自身のためにテスの物語を考え続けたいと思ったのでした。