2024感想文

 

終わってしまった。
ken yokoyamaの2024年の全ライブの話である。
日本全国津々浦々、今年もまぁ沢山動いてくれたもんだと頭が下がる。
年明けに8枚目のスタジオフルアルバム"Indian Burn"をリリース。雑巾絞りという名の如くアイディアを必死で絞り出したという渾身の1枚。発売前にはメディアへの露出も積極的に行い、"人生で一番忙しかった"という昨年の再来を予感させた。
レコ発ツアーも数多く観れたが、どの会場も超満員の大盛況で、彼らの人気は結成20年を経てなお衰えを知らない。

レコ発ツアーが終わると、毎年恒例の夏フェスラッシュにも精力的に参加。と言いたい所だが、オファーを受け、準備し、定刻通りに登場、新規ファン獲得のための所謂"鉄板曲"を演奏する。といういつもと変わらぬルーティーンに今年は正直飽いてしまった、という。

フェスはそんなもんだと思っていた。鉄板曲は当然盛り上がる。鉄板なのだから。新規ファン、大歓迎だ。だから特に若い世代を取り込んで欲しい。90年代から観てる古参達はもう40代半ば、50を超えた人もいる。なんなら新規の人達のために鉄板曲だけで良い。
個人的にはこう思っていたが、今年はいい意味で裏切られた。コロナ禍以降、直近2年で作った最新曲のみのセットリストでフェスをこなし、「鉄板聴きたきゃワンマンライブに来い!」とフェスでの選曲の在り方に一石を投じたのだ。

演者も人間、当然気分が乗らない時もある。
しかし今回は、自身の溜めたフラストレーションは自身のアイディアで乗り切ろうという姿勢に甚く感銘を受けた。実際この選曲で全箇所大盛り上がりなのだから文句の付けようが無い。

思えば90年代、ハイスタンダードのインタビューでも彼は常々、「新曲、早く新曲が早く演りたい」と言っていた。
東北の為に再起したAir Jam 2011、2012の時もそうだった。
「新曲が無ければただの懐メロバンドだ。現在進行形でのライブが出来ないなら、心の底から楽しいとは言えない。」
それが彼の口癖だった。

人間、歳を重ねるととかく懐古主義になりがちだ。
あの頃は良かった、あのバンドはあの作品で終わったね、など。自分で思い返しても耳が痛くなる。
だが彼らは違った。過去の成功に捉われず、常に最新曲で真っ向勝負する彼らの姿勢。
解っていたつもりだった。だが、突きつけられた現実は、"彼らの事をよく知っている"という錯覚だった。

温暖化、ならぬ"沸騰化"と比喩された今年の猛暑にも陰りが見え始めた頃、突如アナウンスされ今年のファイナルを色濃く飾ったのは、なんといってもThe Golden Age Of Punk Rockと銘打った文字通り90年代カリフォルニアパンクの中より厳選された16の名曲達のカバーアルバムだろう。

ライブ進行としては、オリジナル曲を数曲演ったあとに照明が消え、バックドロップが刷新、表題のカバーソングコーナーが始まる。
そしてまたオリジナル曲でラストまで駆け抜ける、といった具合。
さらに開演前、暗転中にも氏が自らのライブラリから選んだという90'sパンクの名曲が流れる何とも粋な演出も新鮮だった。
さらに嬉しいサプライズとして、カバーで使用するギターが90年代の氏のアイコンと言っても過言ではない愛機"SKATE"なのだから往年のファンは大歓喜だったに違いない。

90'sパンクの名曲、といえば10月L.Aで3日間に渡り開催されたNOFXのFinal Showに行く事が出来た。
NOFXがオファーした盟友バンドが多数出演するフェス形式になっていて、今作に収録されている楽曲のオリジナル(LAGWAGON、THE、VANDALS、LESS THAN JAKE、THE DESCENDENTS、NOFX)を聴ける機会に恵まれたのだが、今回の新譜はこれらのオリジナルに全く引けを取らない熱い仕上がりになっている。

"完コピ"という簡便な言葉で片付けるのは容易いが、この名曲達を聴き込んでいた世代の人間なら気になるであろう言葉にできない絶妙なニュアンスの部分までもが回を重ねるごとにメンバー4人によってブラッシュアップされ、ツアー終盤では完全にken yokoyamaの楽曲になっていた。

発売前のインタビューで氏が恐縮しながらも「いま日本でこれをやれるのは僕しかいない」
と発言していたのも頷ける。なぜなら選曲された楽曲達は、このシーンに通ずるミュージシャンであればおそらく頼まれても及び腰になってしまいそうな名曲ばかりだからだ。

経験値、知名度、技術、そして実績。彼が歩んで来た30年以上に及ぶキャリアについてはもはや語るに及ばない所であるが、今ツアーはなにより彼のセンスが傑出していた。
この30年もの間、自分は変わらず彼の何に惚れ続けているのか、答えはまさにこれである。

一方で大きく変わったものもあった。

コロナ禍から顕著になった「死」というキーワード。ライブ途中、小休止で何度も放った

「俺だっていつ死ぬか分からねぇ、だから会える人は"なるべく"また会おうな!」
という言葉。

最初に聞いた時は、突然目の前に突き出された終末予告のようなこの表現を瞬時に咀嚼する事ができず、情緒が不安定になったのを覚えている。
だがこれは親しい仲間、そして身内とも言える大切な人を失ったからという単なるリップサービスなどではない。観客だけではなく自身のケツを蹴り上げ鼓舞しているようにも受け取れるこの言葉を、その場にいた観客は各々どのように受け取っただろうか。

高尚なもんじゃなくたっていい。
誰に分かって貰えなくてもいい。
こうしてみんなと同じ空間で、何語か分からない言葉でギャーギャーうるさい音楽をやって、でもみんなと一つの空間を生み出して。
死ぬ間際まで音楽をしていたい。でもそれを続ける為には誰かからのちょっとした愛が必要なんだ...。
(ライブMCより)

魅力的、且つ不思議な人だ。
力強く、そして上手く観客を焚き付け、一瞬にしてその場のボルテージを最高潮にしたかと思えば、時折こうして弱さを垣間見せる。
しかし彼のこういったある種脆弱、いや、人間的と言える部分を、ファン達が寄り添い上手く均衡を保っている素晴らしい"集団"、それがken yokoyamaなのだと改めて認識させられたツアーだった。

今思えば"早かった"と表現してしまいそうになるが、結成20年。彼の奏でるメロディーが喜びの時、怒りの時、哀しみの時、おそらく全て観せてもらったように思うが、まさにいま観客として彼のメロディーはどう見えるか。と問われれば、迷わず"感謝"だと答えるだろう。

「観客への"ありがとう"を素直に口に出来るようになった、歳を取るのも悪くない。」

そう言って終演後、観客に対し深々と頭を垂れ手を振るその表情は、演奏中の"殺気"にも似た鋭いそれとは対照的なほど穏やかだ。

五十路半ばにして新たな16もの武器を手に入れ、休む事なく挑戦を続けるken yokoyama。
体格的に決して大きくはないその偉大な背中に見たものは、来るべき終わりへの不安などではない、

"一人のパンクロッカーとして生き続ける"

という意思そのものであるような気がした。

叶うならこの先も彼が発する熱い想いを、受け取り手として語るに足るファンの一人でありたいと強く思う。

2024.12
sanadalay

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