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子どもたちの本当の「成功=シアワセ」を願い決意を固めた

住む処が無いわけではない。雨風を凌げるどころか、夏はクーラーで涼み、冬は暖を取れる。住める処にただ住むだけなら、足を伸ばして寝れるだけのスペースは確保できる。マイカーを持たずとも、路線バスと電車を乗り継げば通勤・通学もできないこともない。約9,400の駅もの駅が日々の移動を支えてくれている。約5万5,000店舗のコンビニエンスストア約1万500店舗のスーパーが、比較的新鮮な食材を安価で供給し続けてくれる環境下。

食材の良し悪しにこだわらなければ、食にありつけないこともない。子を授かる必要性も感じない。結婚なんてしなくても構わない。自分ひとりが生きなれるのならそれで良し。向上とは無縁の日常を歩み続けたとしても。手の届くものだけに満足する程度の人生は送ることはできる。そんなミライを望むのであれば、子どもたち学校から帰宅直後に、床に横たわり。誰からも何も制限を受けず、YouTubeなどの動画にうつつを抜かしていようとも、それはとは言えないのかもしれない。

「見たい時に見たいものを見る」時間に縛られるテレビよりも、YouTubeの方が都合が良いというわけだ。放っておけば、YouTubeが次々とおすすめ動画や関連動画を表示してくれる。するとすぐに夜更けになり、惰性的に次の日の朝は訪れる。会話も無いが、喧嘩も無い。YouTubeが親代わりであり、シッター代わりでもある、そういうスタンスでも、何事も無く年月は過ぎていく。学歴を問わなければ、行ける学校はいくらでもあり。年収を問わず、手足を動かす労働に、何も思うことがなければ、働き口も無いわけではない。

それでも、生きるための、必要最低限のお給料はもらい続けられるのかもしれない。その延長上の人生は自ずとそのままになるだけで。特に他の誰に迷惑をかけるわけでもないのだから。子どもたちにこのような人生を送ってもらうことが「シアワセ」だと思うのだとしたら、全てのお話は、この時点で終る。「シアワセ」の形は人それぞれであり。誰かに無理やり決められるものでもないのだから。


子どもたちの「成功=シアワセ」を願った

けれども、我々は子どもたちのミライを強く願った。子どもたちがただ手の届く範囲のモノだけを手に入れる人生を歩むことを良しとしなかった。子どもたちには自分たちよりも上質に「成功=シアワセ」な人生を謳歌してもらいたいと思った。子どもたちの生涯を通して、欲しいモノは何でも手に入れてもらいたい。願いはどんなことでも叶えてもらいたい。学歴、特技、恋愛、結婚、就職、出世昇進、起業、独立、経営、投資。自宅、車、子どもの教育。

自らの意思で能動的に野心・野望と言えるものを抱き。必ずや手中に収めてもらう。個人としても、突き動かされるような灼熱のモチベーションと共に、活力、覇気、使命感に満ち溢れた状態で。集団組織の中でも、周囲から一目を置かれる程の、強い意志を持ち、熱意溢れた旺盛な意欲を抱き。揺るぎない覚悟・決意・信念と共に、不屈の精神でどんな苦難もまるでそよ風のように突破して行く。

「世のため、人のため、自分のため」そんな人生を、「成功=シアワセ」と定め。妄想だけの夢や希望ではなく、達成できる目標としてもらうために。0歳〜18歳の教育活動を通して、子どもたちに「脳のOS」として備えてもらう決意を固めた。子どもたちが、22歳を迎えて社会に出た時。その日から、完全に逆算された。「必要パーツ」を取りこぼしなく集めることが、我々両親の生きがいとなった。そのための叡智である「帝王学」を授けてくださっているのが、大富豪一族のマスターヒロさんである。


金持ちは3代で潰れ、貧乏は7代続く

世の中「お金が全て」ではないが、95%は「お金」で手に入れることができる。それならば、我々両親が子どもたちに、お金や資産を渡すことが、子どもたちに「成功=シアワセ」をもたらすことにつながるのだろうか?世の「お金持ち」と言われる方々が、履き違えがちになる難題に、マスターヒロさんは真っ向から挑戦することになった。両親が頑張ってお金や資産を創り、それを次の代に残すことが果たして両親の役目なのだろうか?その答えは否だった。

子どもの教育方法を間違ってしまうと、仮に両親がどれだけ沢山のお金や資産を残せたとしても。両親がいなくなってしまった途端にお金や資産は必ず消えて無くなる法則がある。それどころか、普通の家庭以上に、破滅的な末路に向かって進んでしまうことにもつながる。世の「お金持ち」と言われる方々の、二代目、三代目を見た時、明らかだったからだ。両親が、子どもたちに億単位の物資並びに現金、資産を残せる状態にも関わらず。無気力どころか、精神病で入院や自害にまで発展する現実がある。

「金持ちは3代で潰れ、貧乏は7代続く」

・初代:奮迅の努力で、荒野を切り開き、耕し、苦労しながらも種を植え、育て、一面に満開の「お花」を咲かせる。
・2代目:初代の背中を見ているが、荒野を切り開く方法も、一度枯れた「お花」の咲かす方法も心には残らない。初代の目がある間は「お花」は枯れない。初代がお亡くなりになるとすぐに「お花」は枯れる。
・3代目:初代が孫には自分のように苦労させたくないと、過保護に育てる。3代目が長じると、受動的かつ依存心が強くなり、贅沢が身についていて「お花」が枯れ行くのをただただ見つめることしかできない。
・4代目:かつて栄華を誇った一族も、普通の貧乏に墜落。「ご先祖さまはすごかった・・・」「わが一族は今は貧乏だがかつては栄華を誇っていた。血に誇りを持とう!」眉間にシワを寄せて4代目がその子供に語るだけ。
・5代目:貧乏には貧乏なりの理由があるわけだが、「過去の栄華や誇り」に目を向けている状態では、そこから抜け出すことはできない。5代目も生まれつきの貧乏で大人になってからも貧乏。
・6代目:生まれつきの貧乏。ようやく「ご先祖さまの栄華伝説」に頼ることがない世代になり、辛抱強く、コツコツ働いてわずかな「お花」を咲かせる者が現れてくる。
・7代目:なかなか心あるものが出てくる。よく働きわずかな「お花」を咲かせながらも、家族を大切にする。
・8代目:ようやく8代目にして、再び新たに「お花」を咲かせるべく荒野を耕す者が現れるかもしれない。

初代がどれだけ沢山の「お花」を咲かせて子どもたちに残すことができたとしても。放置していただけでは、「お花」が枯れて消えて行くことが確定しているようなもの。初代が生きている間は沢山「お花」がある状態だとしても。残された子どもたちが、自分の代になって「お花」が枯れていく一方になるのを、ただただ指を咥えて見つめているだけな程、苦痛なものは無い。

こうした事実から逃げることなく真っ向から挑まれたマスターヒロさんは。ひとつの答えに到達した。「お金」では決して手に入らない、残り「5%」の方の「継承」が重要だと。両親が咲かせた「お花」を子どもたちの代以降に紡いでいく方法を、20年以上の歳月と、億単位の予算を費やし研究。「再現性」のある「教育論」へと体系化させることに成功された。

「帝王学」
我々がマスターヒロさんから伝承頂き、歳〜18歳の教育活動における、我々の方針を決めるための「経典」となった。


子どもたちが「お花」を咲かせ続ける力

本質を理解できると、我々両親も「お花」を咲かせ続けることができる。「お花」も残すかもしれないけれど、どのような種を選び、いつ種を植えて、育て、どうやって「お花」を咲かせるか?「お花」の咲かせ方自体を紡いで行くということに、重きを置くことになった。子どもたちも自らの意思で「お花」を咲かせ続けるることができる。そのまた子どもたちも同じように・・・。

初代であれば「お花」を咲かせるべく荒野を耕すところから、自らの意思できるようになる。2代目以降であれば、初代のようにゼロから荒野を耕すまではしなくとも、最低限種を植えて「お花」を咲かせ続けることができるようになる。我々がマスターヒロさんから学び、手順に従って実行に移すことにした。その数カ月後、両親が変わった結果、子どもたちが変わりはじめた。子どもたちが自ら高い目標を抱き、夢中になって邁進できるようになるまでにそう月日は要らなかった。

「子どもたちが自ら「お花」を咲かせ続ける力」。

我々は確かな実感と共に手応えを感じている。これこそが我々が子どもたちに施したかった。5%の決して「お金」では手に入らない代表的なモノ、「教育の答え」であると。子どもたちの背中を見守り続ける過程で、家族としての「シアワセ」を感じられる。我々両親が変わり、その子どもたちも変わった。。「帝王学」に基づく、「0歳〜18歳の英才教育論」マスターヒロさん直伝型、御自ら教壇に立たれる、年間プログラムプラチナコース。今秋、情報開示予定。

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