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40代〜50代になると誰も何も言ってくれなくなる
「メリークリスマス!この祝日にあなたのシアワセと、愛と財に恵まれる祈りを送ります!」いよいよ、残り一週間で2023年が終わり、2024年の新年を迎えることになってしまいましたね。気がつけば、今年も一年、あっという間に経過してしまった感じです。
年初に立てた目標は、計画通りに完遂できましたでしょうか?今年も、ご自身を高めて成長させることはできましたでしょうか?最後の週は、一年を振り返り、2024年から新たに始まる一年の計画を立てて頂ければと思います。
20年前を思い出すと・・・
2024年になると、僕は48歳を迎えることになります。後一歩で50歳になってしまいますね・・・。振り返れば、僕が社会に出たのは、大学を卒業して、22歳を迎え、東証一部上場のメーカーに就職した時。入社2年目で結婚して、35年ローンを組んで東京駅近くのマンションを購入したのがキッカケで。「副業ビジネス」を開始。
日本で、本業サラリーマンと副業の「2足のわらじ」生活を覚えた後で。勤務していた会社の海外駐在員として、香港に異動になったのが26歳。そして、20年以上前、27歳の時に、「真田孔明」として、「インターネット」上でのビジネスをスタートしました。インターネットがパソコン、スマホ、パッドなどのデバイスと共に、ドンドン一般家庭にも普及して行ったタイミングでしたので。本業サラリーマンとしての、空いた時間を活用した、片手までも。会社からもらえる給与収入とは比較にならないレベルの多額の収入が、毎月の副収入として舞い込み続ける。
けれども、所詮は本業サラリーマンであり、毎日定時に出勤して、夜まで拘束を伴った就労に勤しんでいたので、時間と場所の自由は皆無。沢山、お金を稼いでも、お金を使う暇が無い。サラリーマンとしては、常に上司がいる状態なので、売上・利益のこと、部下・後輩・組織の管理のこと。毎日、直属の上司や周りの先輩たちが、色々なアドバイスをしてくださる状態でした。
当然ながら、「耳の痛くなること」も沢山ありましたが。全てが僕をより良く成長させるためのこと、高めて成長につながるお話ばかりでしたので、ありがたくお言葉を頂戴していました。
気がつけば誰も何も言ってくれない状態
「副業サラリーマン」として「二足のわらじ」生活を継続していた34歳までは、毎日のように誰かが、僕に対してアドバイスをしてくださっていた状態。おバカ丸出し、体育会上がりのダメダメな状態スタートで、お仕事の能力も、ドンドン高まって行くのを感じていましたが。フト気がつけば・・・今のように、47歳ともなると。日常的に僕に対して、アドバイスを下さる方が、右を向いても、左を向いても皆無になってしまいました。
年収も、金融資産も、同年代の方々と比べても、低い訳では無い。海外に複数ある別荘を渡り歩き。日本にいる家族はタワマンの高層階に住んでいる。高級時計ROLEXの資産3,100万オーバー。高給服飾HERMESのバーキン・ケリー資産3,000万オーバー。引き続き労働はしているけれども、「株式投資」による金融資産増がメインになってしまっているので、労働をしないと、生きられないわけでもない。この状態になると、もはや僕に何かモノを申してくださる大人たちはほぼほぼいなくなってしまう。
すると、自分が良い方向に向かっているのか?悪い方向に向かっているのか?何か足りないことがあるのか?全ては自分で判断しなくてはならなくなってしまうのです。これは、とてもとても寂しいことであるし、危険なことであると感じます。ただ、僕の場合恵まれていることに唯一、メンターであるマスターヒロさんただ一人、そんな僕を、ありとあらゆる面で、勝っている背中に確かな実績のある状態で。「クリティカル」な、ご指摘を下さるので。とてもとてもありがたい。
自分の足りない部分がいくつも見えてくるし。まだまだ自分を高めて成長させ続けることができるのだと、リアルに実感させてくれるキッカケを下さいます。そういう意味でも、「プラチナメンタリング」を中心とした、メンターからのメンタリングは、とてもとても貴重な機会であると思います。
一生、死ぬまで成長しない状態
一方で、周りの40代、50代を見渡してみると。「この人もう、 今後全く成長しないだろうな・・・」という大人たちも沢山いることが分かります。それは、生まれながらの能力がどうかとかの問題ではなく。単純に、誰も何もアドバイスしてくれない状態に置かれているし。自分自身も、「耳の痛くなる」ことに対して、耳を塞いでしまう状態であるということが、2、3の軽い対話からでも、容易に見えてくるからです。僕たちが一番恐れるべきことは、自分に対して、誰も何もアドバイスをしてくれなくなることです。
例えば、サラリーマンの中でも、40代〜50代ともなれば、仕事ができていようが、できていまいが、誰も何もアドバイスをしてくれなくなってしまうと思います。40代〜50代なのだから、仕事ができて当たり前。仕事が出来なかったとしても、腫れ物でも見るようにしか扱われない。自分には誰も何も言ってくれないのに、裏ではリストラや、窓際に追いやられるべく、部下後輩たちから裏で画策されてしまう。
もはや、会社の中では、40代〜50代のおっさんに対して、誰も高めて成長してもらうなんてことは誰一人として望んでくれない現実があります。そして、サラリーマンから独立して、自営業者になったら、いよいよ、自分に対して、誰も何もアドバイスをしてくれなくなります。自分を高めて成長させて昇るのも自由だけれど。全く成長せずに、堕ちていくのも自由。
成果を出そうが、出すまいが、完全に自由な、金融資本主義社会なので。そもまま、ダメな状態の人は、ダメな状態のまま年月の経過を費やすことになるだけ。自分を褒めてくれるのは、お金を騙し取ろうとしてくるオンナや詐欺師たちだけ。こういう状態に陥ってしまうと、もう死ぬ前で永遠に、自分を高めて成長させる機会などは、1ミクロンたりとも存在しなくなることになります。
「耳の痛くなる」アドバイスをくれるメンター
人間は誰しもが、自分には甘い。40代〜50代ともなれば、誰も何も言ってくれなくなるので。その甘さに、より拍車がかかってしまいます。ダメダメな状態であったとしても、周りから「陰口」を叩かれるだけで。誰も面と向かって、40代〜50代のオジサンに対して、真面目にアドバイスなどしてくれない。
会社の中でも、部下、後輩たちからは、裏ではボロカスにされてるのに、表ではおべんちゃらを言われて。飲み屋では、ボトルを入れてもらおうと、褒めちぎられて。詐欺師たちも、耳元で甘い言葉しか囁いてくれない。すると、もう二度と、人生の終焉を迎えるまで、自分を高めて成長する機会など皆無になります。そんな中で、とてもとても貴重なのは、自分が何歳になっても、「クリティカル」な視点から、「耳の痛くなること」を率直にぶつけて下さる。メンターの存在です。
他の誰に対してよりも、自分に対して、どこまででも厳しく。圧倒的な経済的な無敗の実績が背中にある。そして、メンティとして慕ってくれる方々に対して。本気で高めて成長してもらおうと、考えて下さるメンターの存在です。40代〜50代を、高めて成長させられる期間にできるかどうかは、こうしたメンターをどんなことよりも最優先して、獲得できるかどうかが、明暗を分けると、僕は断言できます。
そして、教わる側の僕たちも、40代〜50代だからと、年齢による無意味なこだわりを完全に捨て去り。どこまでも素直に、真剣に、「耳の痛くなる」言葉に、目耳を見開いて、聞いて取り入れられるか?ここが人生の勝敗を分ける部分だと思います。メンターは、受動的に構えたままで何かをしてくれるわけではないので。積極的にこちらから、関わり続けなければなりません。
もしも今日時点で、誰一人として「耳の痛くなる」言葉を言ってくれない状態だとしたら。2024年の取り組みの一つに、自分を高めて成長させてくれる目的で、「クリティカル」なアドバイスを下さるメンターを持つことを。取り組み目標の一つに入れてみてはいかがでしょうか?