暗転板つきと明転飛び出しどちらがよいのか?

「暗転板つき」と「明転飛び出し」
業界用語ではあるが、なんとなく一般の方も聞いたことあるワードなのではないだろうか。
念のため説明すると、これは芸人がネタをやる際の出るタイミングのことである。
暗転板つきとは、暗転中に芸人が舞台の上に立ち、明転したらもういる、という状態で始まるネタのことをいう。
コント師の場合は、暗転板つきで始まる場合が多い。
逆に明転飛び出しとは、舞台が明転してから、芸人が舞台上に出るネタのことをいう。
漫才師は一般的に明転飛び出しで始まる場合が多い。

よくコント師は、「明転飛び出しは恥ずかしい」と言い、漫才師は「暗転板つきは恥ずかしい」という。
この暗転板つきと、明転飛び出しで、コント師と漫才師の性質が出るようである。
もしネタがコントか漫才かわからなかった場合は、芸人に「暗転板つきと明転飛び出し、どっちが恥ずかしいですか?」と聞いてみると良い。

かくゆう私は漫才をやってるもんで、やっぱり舞台が明転してから出たい。
暗転板つきで始まるのは緊張する。
私は鳥目で暗いところが見えにくいので、暗転中にめちゃくちゃ変なところにいたらどうしよう?とか不安になってしまう。
これじゃコントはできねえよな。
とにかく暗転している最中に板につく、というのは私はあんまりやりたくないのだ。
ピンネタもやるが、正直明転飛び出しでも暗転板つきでもどっちでもいい、というネタの場合は、私は明転飛び出しにしてしまう。
そっちの方が気持ちが落ち着いてネタを始められる。

バカリズムさんが以前テレビで、「明転飛び出しは時間の無駄だ」みたいなことを言ってて確かに、と思った。
明転飛び出しと暗転板つき、別にどっちでもいいネタは、効率をとるなら、暗転板つきで始めた方がいいのだ。
舞台袖から出てきて、舞台上のセンターまで辿りつくこのストロークがもったいない。
そんな時間を使わずに、スッとネタを始めた方がいい。

“効率をとるなら”、暗転板つきの方がいいのだ。

ここまで、読んできて、
あれ?漫才も実は暗転板つきで始めてもいいんじゃないの?と思った方います?
全くその通り。
漫才も暗転板つきで始めていいんですよ。
何をみんなバカみたいに「どうも〜」っつってセンターマイクまで歩いて行ってるんですか。
そもそもセンターマイクのとこに板ついてたらいいじゃん!
歩く必要ある?ないじゃん!
歩いてるところをお客さまに見せる必要ある?ないじゃん!
とっととネタを始めろや!

あれ、なんで漫才師はわざわざ明転してから歩いて出てきてると思いますか?
私は個人的に、お客さんの期待値を上げるため、だと思っています。
すっごいアーティストのコンサートとかって、その人が出てくるまでに、すっごい長いこと待たされません?
焦らして焦らして、ようやく目当てのアーティストが出てくるから、お客さんがワーッ!!!となる。
すぐ出てこられても有り難みがない。
私が思うに、暗転板つきはスター性がない!
コント師が明転してすぐその場にいるのは、なんか、タレント感がない!
拍手するタイミングもよくわかんないし!
効率をとるなら暗転板つきはいいけど、スター性をとるなら、暗転板つきは最悪だ!
明転してもういる、だと有り難みがない。
見れて嬉しい!それを表現するために、拍手したい!けど、もうコント入ってて、この人は違うキャラに入ってるから、拍手しない方がいいのかしら?とか客に気を使わせるし!
明転してから、どうも〜って出ていくからお客さんはワーッ!ってなる。
このお客さんワーッのために、私は漫才師は明転飛び出しで無駄に歩いて出てきてるんだと解釈してます。
コント師も一回明転飛び出しでもったいぶって無駄に歩いて出てきて、「あ、どうも、〇〇です。じゃあ、これからコントしていきますね。コント!〇〇!」って言ってから、ネタを始めた方がいい。

いや、よく考えたら絶対無駄だろ。
そんなコントの始まり方ダサすぎる。
コイツのやるネタのセンス大丈夫か?ってなる。
結論。
やっぱコント師は暗転板つきで、漫才師は明転飛び出しがいいわ。
(結局そうなるんかい)


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