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おじさんなのか?
どうして私が自分のことを果たしておじさんなんじゃないだろうか?と思うようになったのか。
事の発端はといえば、先日友だちと一緒にゲイバーに行った時に、占いができてちゃんみなの大ファンのママから、「あなたは完璧主義でストイック。頭の中で常に考え事をしていて、うつ病とかにもなりやすいタイプ。意識的に脳死状態を作るといい。読書とかゲームとか映画見るとか無心でできるものをやるといい」
と言われ、確かにここ最近本をやたらと読んでいたし、“脳死状態を作る”という作業は確かに大事かもしれないと思った。
よし、バイト終わり特に予定もないし、いっちょ映画でも見に行くか。けど、なんの映画見よう。
そういやこないだツイッターで知り合いの芸人が「セフレの品格」という映画を見てきたとツイートしてたな?
誠実フレグランス略してセフレなんてコンビを名乗ってる私だ、何か芸のヒントになるのでは?とこの映画を観に行くことに決めた。
入ってみると、まぁうち以外のお客さんはおじさんばっかりだった。
あれ?ストーリー目的じゃなくて勃起目的で来てる?そういう映画だったの?
恐らく女子一人で観に行ってるヤツはうちしかいなかった。
先日うなぎが食べたい!と思い、夜に吉野家に一人で行った。
うち以外のお客さんはおじさんばっかりだった。
女子一人で食ってるヤツはうちしかいなかった。
世の中の女子は、一体何を見、何を食べて生きているのだろう?
私はひょっとしておじさんなんではないだろうか?
そういや、お笑いライブに出たら、周りはおじさんの芸人ばっかりだし。
この世に鏡がなかったら、絶対私は自分のことをおじさんだと思っていたはずだ。
そして周りのおじさんに「あの子ちょっと俺らと違くない?」とまことしやかに囁かれ、
おじさんにも馴染めず、
かと言って自分と見た目が似ている女子にも馴染めず、
オオカミに育てられた人間のサンのように、「おじさんは嫌い!けど、竹野内豊は好き!」
などと言って孤独を感じながら生きていたのだろうと予想する。
鏡がない世界とは恐ろしい世界だ。
鏡があって、自分はおじさんではないと認識できてよかった。
これからも女子おじさんとして生きていこうではないか。
P.S.
書いた後に気がついたけど、女子おじさんだと女子っぽいおじさんになってしまう。
正確にはおじさん女子だな。